終戦時と同じ。コロナ禍と地方衰退に襲われる「統治の空白」ニッポン

 

いずれにしても、戦争末期の軍が組織としての体裁が崩壊しており、敗戦は敗戦として、国民と領土を可能な限り守るという発想を失っていたというのは、もっともっと厳しく断罪されてもいいと思います。一億玉砕というのは民族への裏切りであり、本土決戦というのは本土の相当な部分を敵に渡すということに他なりません。要するに利敵行為であり、叛逆だということです。

万策尽きて、敗戦が濃厚になったとして、その時に軍隊が考えるべきことは、負けるにしても「民族と国土の防衛」つまり失われる命を最小限にするとともに、奪われる国土も最小限にするということで、この2つは表裏一体です。昭和の陸海軍は、この一番重要な任務を放棄したわけで、そのために多くの人命が失われ、東アジアには巨大な権力の空白ができてしまいました。

現在の東アジアにおいては、様々な冷戦的対立が残り、安全保障の上では不安定な状況が続いていますが、その多くがこの時期における「権力の空白」に端を発しているように思います。

ところで、権力の空白という問題に関しては、現代においても様々な形で見られるように思います。

ここまでの議論で扱った天皇の問題ということもありますが、その他にも官僚制の問題は、戦後77年その位置付けは全く変わっていません。

それはともかく、現代においては、統治ということ、あるいは行政ということが機能しなくなってきている、そんなケースが多く見られるように思います。

1つは新型コロナへの対応です。この2年半に、何度も大きな「波」を経験しており、その度に「医療従事者が足りない」「通常診療ができない」「自宅療養での急速な増悪のケースが救命できない」といった問題を繰り返している訳です。

様々な現場のルールを柔軟化すること、それ以前に全国統一の簡素で強力なオンラインシステムで、患者とサービスをマッチングすること、ワクチン副反応時の休養を義務付けそのコストを国費で負担することなど、2年半もあればいくらでも出来たはずです。ですが、政府は対応ができなかったし、しなかった訳です。

しかも野党は、一時期「ゼロコロナ」とか「サービス業は完全休業して補償」「完全鎖国」といった無謀な主張をしていたかと思うと、現在の状況に対しては有効な代案の提案ができていません。では、厚労省はどうかというと、緊急性のある変更については、対応が極めて遅い訳です。

例えばですが、厚労相に加藤勝信氏という人事については、コロナ初期に厚労省として「あまりにも組織防衛的で内容空疎」な答弁しかできない姿勢が、全く機能しなかったのが記憶に新しいところですが、今回も同じ方法論で時間稼ぎをするつもりなのか、とにかく政治にも官僚機構にも統治の意欲というものが感じられないのです。

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