終戦時と同じ。コロナ禍と地方衰退に襲われる「統治の空白」ニッポン

 

2つ目は、それでも官僚機構は回っていたという点です。終戦の前後、そもそも日本が国家であるのかないのかも不明であった時期も、終身雇用の官僚集団という行政マシーンは機能し続けていました。陸軍省、海軍省は撤収計画の実施という大規模な実務に従事しており、同じく民間人の引き揚げについては厚生省はフル回転でした。

良かったのだと思いますし、良い仕事をした官僚も多かったのだと思います。ですが、これも法的な根拠が希薄です。どうして、高等文官試験という紙のテストに受かったグループが、まるで古代中国の中央官僚のように特殊な階層を形成していて、戦争に負けても国が滅んでも機能し続けた、それは法律に定められた行政権という範囲を超えています。現在もそのような官僚機構は回転し続けています。その功罪も含めて、この日本という国のかたちにおける官僚機構の位置付けというのはよく考えておいた方がいいと思います。

例えばですが、今後は政策について非常に知識イコール手持ち情報の少ない、そして判断の根拠となる経験やスキルも著しく不足した集団が与党になり、そのボスが内閣総理大臣になるということは、十分に考えられると思います。その際に、例えば東京都知事になった際の青島幸男のように、官僚機構に行政を「丸投げ」するということもあると思います。それが法的にどう許されるのか、また、そのような形での「権力の空白」がどう問題なのか、考えておくことは必要と思います。

3つ目は、軍の「殿(しんがり)」の問題です。確かにポツダム宣言は受諾され、そのために1945年8月15日には、一切の武装解除ということになりました。このため、歴史の示すところでは、特に朝鮮半島から満州の戦線では、情報の早い軍人の方がサッサと逃亡して、取り残された民間人の中に多くの犠牲が出た訳です。シベリアに拉致された人も多かったし、女性の中にはソ連兵の性暴力に晒された方も多かったと聞きます。

一方で、過酷な逃避行にはとても連れて行けないとして、乳幼児を中国人に託して行った家庭も多かった訳です。この中国残留孤児の問題は、その後、多くの中国人家庭が立派に子供たちを育て、日中国交が回復後には帰国したいという孤児を見事に送り出したことは、日本という国として本当に十分な謝意を表明できているのか、どうも釈然としない思いがします。それ以上に残念なのは、憧れの祖国に帰国した残留孤児たちが、言語文化のギャップを理解しない日本社会から激しいハラスメントを受けたという問題で、この問題に関する謝罪や回復といった措置は、現在でも全く十分ではありません。

それはともかく、とにかく軍人が先に逃げたということが一つあります。もう一つは、逃げなかった軍人に関して、例えば勝手に中立条約を破って参戦したソ連が、北千島から侵入してきた際に、個人的な判断で食い止めた将軍もいた訳です。私は、この戦闘は、いくらヤルタ密約を根拠としていても、そんな口約束の秘密協定に有効性がある訳ではなく、従って樺太侵入も、占守島も第二次世界大戦の戦闘「ではない」という考え方をしていいと思います。

いずれにしても、この北東戦線に関しては、日本側が必死に防戦したのでスターリンの野心である「旭川=釧路ライン」までの進軍という悪夢は食い止めることができた訳です。ですが、本来であれば、ポツダム宣言の時点で千島の扱いと樺太の扱いは連合国との綿密な取り決めがあって然るべきであり、日本側の交渉もツメが甘かったように思います。そうした一連の問題が、日ソの食い違いを生じて、固有領土を奪われる結果になったと考えられます。

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