ここ40年の間、サッカーワールドカップ本大会への出場は2002年の日韓大会一度のみの中国ですが、かつては極東大会で何度も優勝を飾っていたという事実をご存知でしょうか。今回のメルマガ『黄文葦の日中楽話』では、2000年に来日し現在は日本に帰化されている中国出身の作家・黄文葦さんが、中国サッカーの知られざる輝かしい歴史を紹介。さらにその実力がここまで落ちてしまった理由を詳述しています。
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政治の影響から抜け出せない中国サッカー
実は、中国サッカーには輝かしい歴史がある。1913年から1934年まで、極東大会は10回開催され、中国サッカーチームは優勝9回、準優勝1回で、当時は極東の王者として君臨した。極東大会は、主に中国、日本、フィリピンが参加しており、オランダ領東インドも参加したことがある。かつての実績によって、中国人がサッカーをうまく操る身体能力が十分あると証明されたのだろう。
1949年以前、中国サッカー界で最も有名なスターだったのは間違いなく李恵堂氏で、ファンから「アジア球王」として親しまれていた。1930年代の上海では、「劇は梅蘭芳、サッカーは李恵堂を見るべし」という言葉があり、1970年代にはドイツのメディアから「バロンドールベスト5」に選ばれた(当時はペレ、ベッケンバウアー、プスカシュ、ステファノと並んでいた)。
しかし、1949年以後、中国サッカーは世界中に称賛されたことがほとんどなく、近年、退化が加速しているようにさえ見えた。今や中国サッカーは「アジアのトップクラス」とは全然無縁だし、東アジアの「二番手」であるとも言い難い。今年初めのワールドカップ予選では、中国と日本の差は、ちょっとやそっとのことでは表現できないほどだった。
ワールドカップ直前には、中国サッカーのトップレベルを代表する北京国安チームが甘粛省のアマチュア県チームに逆転され、技術水準だけでなく、運営や選考の仕組みなど、中国サッカーの貧弱な現状をまざまざと見せつけられることになった。
14億の人口があるのに、中国サッカーはなぜなかなか上手になれない?中国人の性格的に一人の力で打開するのが困難なサッカーよりも、個人技比が高いテーブルテニスやバスケットボールの方が向いているとよく言われる。
性格はその一因だと考えられるが、国の体制、政策がやっぱり大きくサッカーを左右している。中国政界の腐敗はサッカー界にも浸透している。サッカー業界の腐敗は深刻な状況だという。
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