教育者の資格なし。マスクの着脱すら自分で決められぬ学校の無能

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2月10日に開かれた新型コロナウイルス対策本部で、3月13日からのマスク着用については個人の判断に委ねると決めた政府。しかしこの決定に教育現場から困惑の声が上がっているようです。今回のメルマガ『宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話』ではジャーナリスト・作家として活躍中の宇田川敬介さんが、マスクの着脱すら自分で決められない学校の姿勢を強く批判。さらに彼らのような人間に教育が任されている現実を不安視しています。

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コロナ対策とマスクの自主性 自分で着脱を決められない学校

マスクをしていることや会食ができないことなどから、学生の活動が制限されているということが問題になっています。

様々なことが言われていましたが、最も大きな衝撃を与えたのは、昨年の夏の甲子園の優勝校である仙台育英高校の監督が言った「青春は密なので」という言葉ではないでしょうか。

多くの大人たちが「コロナウイルスは怖い」ということは思いながらも「青春は密」ということを体験してきているので、そのことから、今の学生たちの「寂しさ」や「青春を味わえていない」ということが見えてきたのではないでしょうか。

その頃から、なぜか「対策会議」の尾身会長がテレビなどには出てこなくなりました。

私はいつも言っているのですが、「医者は、自分たちの責任になりたくないので、最も安全な方策を過剰に支持する」ということになります。

多くの人が経験していると思いますが、少しでも病気をすれば、「会社を休んで安静にしてください」「消化の良いものを食べてください」などと言われます。

しかし、実際の社会人をやっていれば、そんなに会社を休むことはできませんし、安静になどはしていられません。

消化の良いものを食べろといわれたって、会食や付き合いなどで、そのようなことができない場面も少なくないのです。

そのように考えれば、「ある程度のバランス」ということが大事ですが、今回のコロナウイルス対策では「バランスを欠いた対策編重の処理」が行われたのではないでしょうか。

そのようなことでは、経済が悪化したり、子供や学生たちが健全に育たなくなってしまう可能性がありますし、また、その事で心を病んでしまっても、また心の成長が悪化してもかれら「感染対策を提言した人々」は何の責任も取ってくれないのです。

そのようなことから「まだだめだ」などと言っていても、徐々に国民が耳を傾けなくなってきているということが本音ではないでしょうか。

さて、そのようなときに、この時期なので「卒業式は皆顔を見せてはいかがか」ということで、3月13日から、「マスクの着脱は自主性に任せる」ということを政府は打ち出しました。

驚いたことに、そのことで困ったのは学校だというのです。

「政府に決めてもらわなければ困る」

いや、何を言っているのでしょうか。

まさに、現在の学校の教員たちが「自分で責任を取ることのできない人々」で「他人に決めてもらわなければ何もできない」ということなのです。

つまり「マスクを取りたい」という人々も「コロナが怖い」という人も、どちらに対しても対処することができず「政府の指針に従っています」ということだけで済ませよう、もっと言えば政府に責任を転嫁しようということを考えているということにほかなりません。

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