周辺国の脅威に対し軍事力の強化を打ち出し、ついにはトマホークという敵基地攻撃能力の保有も閣議で決めたわが国。こうした重い決定をやすやすとできてしまうのは、理不尽に殴られた経験を持たないボンボンの世襲政治家なればこそと指摘するのは、辛口評論家として知られる佐高信さんです。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では、丸山真男と田中角栄という、ファシズムを嫌い日本の戦後民主主義に大きな影響を与えた2人の人物評を紹介しています。
理不尽に殴られた体験
旬報社から出ている「佐高信評伝選」の第4巻『友好の井戸を掘った政治家』の解説を書くために早野透と私の共著『丸山真男と田中角栄』(集英社新書)を再読した。
その4巻に私の『田中角栄伝説』が入っているからである。早野の決定版的名著『田中角栄』(中公新書)が出たのは2012年10月で、私は2014年5月に光文社知恵の森文庫に入る時に『伝説』と改題した『未完の敗者 田中角栄』(光文社)を出した。
東大法学部に学んで丸山真男教授のゼミ生となった早野は、『朝日新聞』の政治記者となってから、ゼミのOB会の席で、丸山に「田中角栄とはどういう男か?」と尋ねられたという。あるOBが、「下品な俗物です」と斬り捨てたので、早野は、「そうじゃありませんよ。角栄は民主主義です。丸山先生の弟子ですよ」と反論したが、丸川は何も言わなかったとか。
早野への弔辞でも引用したが、早野はある座談会で、こう指摘している。
「僕は戦後民主主義というのは、シンボリックに言えば、上半身の部分は丸山先生がつくっていったと思っています。戦後というものの自覚、あるいは戦争観というものです。そして下半身は田中角栄がつくっていった」
丸山の生まれた4年後に角栄が生まれ、角栄が亡くなった3年後に丸山が没している。つまり、75年間はこの国の空の下で共に生きていた。「本人たちは、お互い会ったこともないし、まったく違う世界に住んでいると思っただろうけど」と語る早野は、「軍隊でぶん殴られて、ファシズムは嫌い」という2人の共通点を挙げる。
通産(現経産)次官となっても非武装の旗を降ろさなかった佐橋滋を含めて、3人とも、軍隊で理不尽に殴られた経験を持っている。マインドコントロールをして殺人鬼にしなければならない軍隊は一切の反論、異議を認めない。いわば統一教会の信者と同じく天皇教の信者をつくるのである。
いきなり海軍主計将校となって殴られた体験を持たない中曾根康弘などが、同い年の角栄と違って軍拡論者となる。ボンボンの安倍晋三や岸田文雄も殴られたことがないだろう。だから敵基地攻撃能力などと言えるのである。
早野は、丸山が級長で角栄がガキ大将というたとえ話も披露した。
「ガキ大将は乱暴も働くし、親の財布から金をくすねることもある。周囲から反感を招くことが多いけれども、クラスの弱い子をかばったりもするでしょう。その点、丸山先生は級長だと思う。級長ではあるが、単に先生の言いつけをよく守るのではなく、ガキ大将に一目置いているような級長だ」
早野によれば角栄は「百姓の家で10人子どもがいたら、ひとりくらいは共産党になるものだ」と口癖のように言ったという。世襲政治家はこれが理解できない。
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