歴史の教科書に載っていない話を掲載する本はいくつもあります。今回の無料メルマガ『1分間書評!『一日一冊:人生の智恵』』で本のソムリエさんが紹介するのは、日本史を経済の視点からみた一冊です。江戸時代にはすでに経営コンサルタントがいたって本当なのでしょうか?
【一日一冊】日本史にみる経済改革 歴史教科書には載らない日本人の知恵
『日本史にみる経済改革 歴史教科書には載らない日本人の知恵』
童門冬二 著/角川書店
童門さんの本は、すべて読んでしまおうと思っているので、2002年の本ですが読んでみました。雑誌に「経済の視点」として、歴史教科書に載らない経済政策について連載したものです。
江戸時代は、戦国時代に比べて平和な時代でした。戦国の世では、武士には力が求められましたが、江戸時代には、計算できるか、検地して税として年貢を徴収できるかどうかが求められるようになりました。
戦国時代には、小田原の城下町は城壁で守られていることが発展のポイントとなりましたが、平和な時代になると、金儲けできるのかどうか、自由に商売をできるのかどうかが重要になりました。
また、軍用品は、一般民生品に転換され、軍用食である梅干は、一般人にごはんのお供の梅干として売られるようになったという。
小田原近辺で北条家の軍用食として梅の栽培をしていた人びとは…軍事食だった梅干を…一般人に売り出した(p159)
歴史のトリビア
童門さんの本のよいところは、歴史のトリビアがたくさん出てくるところでしょう。
例えば、赤穂(あこう)藩の浅野に吉良上野介(きらこうずけのすけ)が江戸城で切られた赤穂事件は、吉良邸に討ち入りした赤穂浪士に同情的です。実は赤穂藩はお取り潰しになったのですが、赤穂藩の藩札は通常であれば無価値となるところですが、赤穂藩は正貨の6割で償還したという。多くの商人が驚き、赤穂藩に感謝したという。
また、蒲生氏郷(がもううじさと)は東北の会津黒川に異動させられます。氏郷は、会津黒川を「会津若松」と改め、会津商人の育成に尽力します。日野の名産品である「日野椀」を会津で作り、「会津塗」として売り出します。会津をブランド化しようとしたのです。
また、江戸時代には藩の経営コンサルタントがいたという。江戸後期の海保青陵(かいほせいりょう)は、旅行しながら滞在先の絹織物や煙草など産業改革案を進言したという。例えば、絹の大消費地である京都のニーズを調査して絹織物を生産すること、売れる産地の周辺からも原料を集めて、産地ブランドで売ることなどを助言していたという。
江戸時代の藩の経営には、投資やマーケティングといった経営的視点が求められていたのです。
水野忠之…一般人にも資金を提供させて新田を開発し、そこでとれる米を、提供資金額に応じて配分する(p44)