ジャニーズ事務所の性加害問題について、責任を指摘されたテレビや新聞など大手メディアは、揃って「真摯に受け止める」と声明を出しました。しかし、加害の一端を担っていたという自覚をもって沈黙の理由に踏み込む動きは皆無です。なぜ日本のマスメディアの感覚はこれほど“ヌルい”のでしょうか。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』で評論家の佐高さんは、各社及び記者たちが高給ゆえに“肥え”、タブーに挑み暴くという役割を捨てていると断罪。ジャニーズ問題に限らず、大手メディアが作り出したタブーは多くあり、こうした状況は、戦争になればもっとひどくなると警告しています。
タブーは作られる
ジャニーズの性被害問題など、とっくに『噂の真相』が書いていた。統一教会の問題も、マスメディアが腰を据えて報道しなかっただけである。
2004年に出た『噂の真相』の別冊のタイトルが『日本のタブー』だが、タブーに挑んで、それを暴くのがメディアの役割と言っても、現在の記者たちには通用しなくなっているのだろうか。同別冊の巻頭に『サンデー毎日』、『週刊文春』、『週刊現代』の元編集長の座談会が載っている。それぞれ、北村肇、花田紀凱、元木昌彦。
北村は亡くなり、花田は権力御用の『月刊 Hanada』を出していて、往年の見る影もない。司会の岡留安則が一番光っているが、戦後、マスコミの中で「菊(皇室)」「鶴(創価学会)」そして「解同(部落解放同盟)」が三大タブーだったけれども、それもあまりタブーではなくなってきたと花田がノーテンキなことを言うのに、岡留はビシッと、「僕はまだ依然として菊にも鶴にもタブーは存在すると思っている」と反論している。
そして、こう続ける。「特に創価学会に関しては、最近、学会側の“逆キャンペーン”が盛んになってますね」。この延長線上に田原総一朗が毎日新聞出版から『創価学会』を出し、佐藤優が朝日新聞出版から『池田大作研究』を出したのだろう。
創価学会は最初のころは人海戦術でメディアに抗議していたが、それは藤原弘達の『創価学会を斬る』のように言論弾圧とかと叩かれるので、メディアの取り込みに出てきた。田原の『創価学会』は10万部も出たというが、当然、毎日の経営陣はそれを無視できないだろう。『池田大作研究』の場合も同じである。
それでも私は、朝日より毎日の記者の方にタブーに挑戦する気概をもった者が多いと思っている。それはなぜか?朝日の方が毎日よりはるかに高給だからである。薄給がいいとは言わないが、満腹の人間、もしくは動物は闘わない。ハングリー精神とチャレンジ精神には共通するものがあるからである。
前記の座談会で北村が言っている。「新聞社はもともとそうだけど、雑誌も大手はみんな高給取りのエリートになって、失いたくないものがどんどん増えちゃっているから、自分たちでタブーを作っている」
岡留も言っているように「自分たちの内部でタブーをどんどん作り出している」のである。それは戦争になればもっとひどくなる。「究極的には、どこの国のメディアも、戦時下になれば、自主規制で愛国的メディアになってしまう」のだが、“新しい戦前”の現在、こんな状態なら、この国のメディアは簡単に雪崩を打って愛国一色になるだろう。
司馬遼太郎スキャンダルを『噂真』はやったが、たとえば松本清張のそれは『週刊文春』も『週刊新潮』もやれなかった。『週刊朝日』がコラムで大江健三郎を批判して編集長がとばされるという事件もあった、と岡留が語っている。
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