ビッグモーターを“不正のデパート”にした損保ジャパン「魔の提案」

 

極めて強い営業力。損保ジャパンの歴史と実力

損保ジャパン(損害保険ジャパン)は、2002(平成14)年7月に「安田火災海上保険」と「日産火災海上保険」が合併してできた会社。同年12月には、経営再建中の「大成火災海上保険」を吸収合併している。

安田火災海上保険は損害保険会社の再編が始まる以前の1990年代まで、「東京海上火災保険」に次ぐ業界2位の損害保険会社だった。一方の日産火災海上保険は中堅の損害保険会社。

合併での損害保険ジャパン発足後も、しかし損害保険業界はさらに再編が進む。損保ジャパンも「東京海上ホールディングス」、「MS&ADホールディングス」との差を縮めるために、2010(平成22)年に「日本興亜損害保険」と経営統合。

この経営統合により、持株会社「NKSJホールディングス」を設立し、その子会社となる。

2014(平成26)年9月1日には損害保険ジャパンと日本興亜損害保険が合併。これにより、社名が「損害保険ジャパン日本興亜株式会社」となった。

しかし、「ジャパン」と「日本」といった同じ意味を持つ名詞が含まれていることや、「長すぎる社名」が問題となったため、2020(令和2)年4月には「損害保険ジャパン株式会社」(2代目)へと商号が変更。

略称や英文社名、ホームページなどは初代の損害保険ジャパン時代に使用されていたものが引き継がれている。損保ジャパンは合併前の安田火災海上保険由来という、極めて強い営業力もつ。

自動車保険では日産グループとの協力関係が強く、強い代理店営業力もあり、大きなシェアを確保した。そしてみずほグループ系でもあるため、法人顧客も多い。

損保ジャパンは売上高は東京海上日動火災保険に次ぐ2位の位置。以下、三井住友海上火災保険、あいおいニッセイ同和損害保険、トーア再保険とつづく。

なお、損害保険は、一定の額の保険金が支払われる生命保険とは違い、損害額により保険金の支払い額が異なる「実損払方式」が中心。そのうち、個人向け保険に自動車保険や火災保険、地震保険などがある。

もっと事故車を。ビッグモーターが利用したグレーな仕組み

ビッグモーター社と損保ジャパンの“癒着関係”は、旧安田火災時代だった1988年に始まる。ビッグモーターの保険代理店の登録や届け出を代理し、損保側の幹事社として「代理申請会社」を務めるようになったのが、損保ジャパンだった(*3)。

1997年にはビッグモーターの株式を取得。その後、ビッグモーターからの買い増し要請にも応じ、2016年まで保有した(*4)。

ビッグモーターへの社員の出向も2004年に始める。2011年には、損保ジャパンに合流する旧日本興亜損保に兼重氏の長男である兼重宏一氏が入社した。のちにビッグモーターの副社長となる人物だ。

ところが、ビッグモーターは2014年より損保ジャパンへの優遇を見直していく。旧損保ジャパンと旧日本興亜が合併したことで、ビッグモーターが取り扱う自動車保険のうち、損保ジャパンのシェアが8割を突破した。

そこでビッグモーターは自賠責保険の損保各社への割り振りを行う。損保各社は、事故にあった保険契約者に修理工場の一つとしてビッグモーターを紹介していた。

工場からすれば、仕事が得られ、契約者も自分で工場を探す手間が省ける。こういった行為は業界では、「入庫誘導」と呼ばれる(*5)。

ビッグモーターはこの仕組みを利用した。事故者の紹介の応じ、ビッグモーターで中古車を購入した人の自賠責保険を割り振る「配分ルール」を編み出す。

これには、他の損保に対し、もっと事故車を紹介してもらいたいという狙いがあったとみられる。

このことは、契約者本位とはいえない“グレー”な仕組みであるが、しかし業界トップの東京海上日動火災保険、3位の三井住友海上火災保険がこぞってこの入庫誘導に力を入れ始め、結果、3社の競争が激しさを増していく。

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