米国エリート層には犯罪的にすら映っている大谷の資金管理
実際、大谷選手が会見で関与を完全否定した後でも、質疑応答のない会見では疑惑が払拭されたとは言い難いという声が上がっている。先述のピート・ローズ氏本人はこの件について皮肉交じりに「あの70年代、80年代、俺にも通訳がいたら、きっと無罪だったろうに」とコメントしている。このような背景が、一部の米メディアによる大谷選手への厳しい視線の理由となっている。
水原一平氏についての騒動は、米国においては法的並びに倫理的な観点からの評価が中心になっている。とくに、大谷翔平選手の口座から水原氏に送金された6億7,500万円という巨額の資金が関与しているため、社会的責任が大きく問われているのだ。
米国では、日本と違って、財産運用も含めた資産リテラシーを幼い頃から学んでおり、資産管理は自己責任という風潮が強い。とくに東部エスタブリッシュメントやエリート層には、今回の大谷選手の資金管理は、気の毒というよりも、愚鈍かさもなくば犯罪的にすら映っているだろう。
一方、日本ではお金に無断着なことが美徳とすらされている。実際に、日本におけるメディア報道は、米国と比較して、個人の私生活や人間関係に焦点を当てた情緒的なものが多い。今回のケースも、日本のメディアでは野球ファンのみならず、全国民が大谷選手のメンタル面への影響を心配し、彼を支持する声が上がっているかのような報道ぶりだ。
このような背景を踏まえると、大谷翔平に対する米国メディアの厳しい視線は、野球界の歴史における賭博問題の深刻さだけではなく、幼少の頃より培ってきた金融リテラシーの資質の差異が大きいのではないかと考えるのである。
(本記事は有料メルマガ『上杉隆の「ニッポンの問題点」』2024年3月29日号の一部抜粋です。続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)