「イスラム国」すら恐れるテロ組織の拠点に歩いて行った男

Asaf Eliason /Shutterstock.com
 

僕は警察の好意に感謝したが、やはりパトカーをタクシー代わりに利用するのは忍びない。また、ちょっと考えれば警察の魂胆が透けて見える。このアホな日本人をここで下車させてしまったら、また歩き出すかもしれない。それは断固阻止せねばならぬ。

どうも彼らはそれを危惧したようである。正直なところ僕はイラン国境までの約170キロを歩くつもりはまったくなかった。治安上ギリギリの地点まで歩くという重圧から解放され、とにかく骨休めがしたかったからだ。このまま国境まで護送されていきなり酒も飲めないイランに入国してしまえば、それこそ息抜きすらできない。

僕の脳裏には、約2ヶ月前にイスタンブールで顔見知りになったトルコ人のじゅうたん屋の客引きや日本人バックパッカーの顔が浮かんでいた。イスタンブールを徒歩で発ってから2ヶ月以上も日本人と会っていない。日本語が恋しい。よし、イランへ行く前に一度イスタンブールに戻ろう。そして浴びるほどトルコのエフェスビールを飲み、ガラタ橋ほとりの名物・船上さばサンドを腹いっぱい食べて、テロの恐怖で萎縮した胃袋を元の大きさに戻そう。日本人宿「モラ」に泊まって日本語でいっぱい話をしよう。イスタンブール大学前のマクドナルドでゆっくり日記を書こう。

そう心に決めると、彼らに長距離バスでイスタンブールに戻ると伝え、パトカーでのイラン護送を断った。

夜行バスはテロを警戒して運行していなかったのでこの夜はアールに1泊、翌日午後発のバスに乗ることにした。警察は僕をアール市内の安宿まで送るというので、警官ふたりと再びパトカーに乗る。茶店に寄って紅茶をご馳走になったあと、安宿まで連れていってもらった。礼をいってパトカーを降りると彼らもまた下車してきて、人騒がせな日本人旅行者に腕を差し伸べ、握手を求めてきた。

「気をつけてよい旅を」

「みなさんもテロに気をつけてください」

僕は世話を焼いてくれた警察官と固い握手を交わし、1泊300円の安宿の玄関ドアを押した。

 

『あるきすと平田のそれでも終わらない徒歩旅行~地球歩きっぱなし20年~』第3号より一部抜粋

著者/平田裕
富山県生まれ。横浜市立大学卒後、中国専門商社マン、週刊誌記者を経て、ユーラシア大陸を徒歩で旅しようと、1991年ポルトガルのロカ岬を出発、現在一時帰国中。メルマガでは道中でのあり得ないような体験談、近況を綴ったコラムで毎回読者の爆笑を誘っている。
≪無料サンプルはこちら≫

 

 

print
いま読まれてます

  • 「イスラム国」すら恐れるテロ組織の拠点に歩いて行った男
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け