真田丸『第27話』裏解説。信長の野望より壮大な秀吉の「朝鮮出兵」

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NHK大河ドラマ『真田丸』を放送直後にワンポイント解説する人気連載シリーズ。今回は文禄・慶長の役について。一般的に「朝鮮出兵」などとも呼ばれていますが、秀吉の本当の目的は「中国の征服」にあったようです。しかし次第に朝鮮半島での戦況は悪化し、秀吉は呼子半島に「名護屋城」を築城し巻き返しを図ろうとしますが、果たして…!?

今回のワンポイント解説(7月10日)

今回、ストーリーの中心となっていたのは、秀吉と秀次の間に生じる不協和音。時期でいうなら文禄2年8月〜4年7月にかけてだから、文禄の役の真っ最中ということになる。

文禄の役と、そののちに起きる慶長の役朝鮮出兵とも言われるが、当時は「から入り」と呼ばれていた。つまり、秀吉の目的は朝鮮の征服ではなく、あくまで中国の征服にあったのだ。日本は軍事大国だから、ガツンと言ってやれば朝鮮側は頭を下げて、明征服の先導役を務めるだろう、くらいのつもりで秀吉は朝鮮に服従を要求した。でも、こんな要求が通るはずはないから、まずは朝鮮を制圧しようということで、諸将が大軍を率いて渡海したわけだ。

日本軍は、実戦経験の乏しい朝鮮王朝軍を撃破して首都の漢城(ハンソン・現ソウル)を陥れ、 朝鮮半島の大半を蹂躙した。しかし、戦況は次第に悪化し、日本軍は苦戦を強いられるようになる。この戦役の本営として、秀吉が肥前の呼子半島に築いたのが名護屋城だ。この城を中心として 呼子半島一帯には、従軍諸将の築いた陣城も無数に残っている。名護屋城の本体は、石垣山城をスケールアップしたような本格的な城で、本丸には五重の天守がそびえていた。

面白いことに名護屋城の本丸は、築城の途中で大幅な拡張が行われた事が、発掘調査によってわかっている。普請現場を見に来た秀吉が「狭いな、もうちょっと広くできんのか?」とでも言ったのであろうか。

なお、文禄・慶長の役日本軍の築いた城が今も韓国に残っていて、倭城と呼ばれている。残念ながら僕はあまり詳しくないので、文禄・慶長の役や倭城に興味のある人は、夕里さんのブログや「倭城ナビ」のサイトを参照してね! ナワバリングのブログ(人生竪堀)からも、リンクを貼っておきます。(西股総生)

今週のワンポイントイラスト

肥前名護屋城は築城後に大改修が行われたらしく、本丸南側の石垣を「横矢掛り」もろとも埋め、拡張したと推定されています。さすが太閤スケールが違う! ちなみに三成が実際にこの時期ソロバンを使っていたかは不明。久野重勝が所持していたという日本最古のそろばんは1591年のもの。この時期、三成も導入していたかもしれません。(みかめ)

 

文・絵/TEAM ナワバリング(西股総生・みかめゆきよみ)

ナワバリスト(城郭研究家)の西股総生率いる、お城(主に山の城)と縄張りを愛する3人組

 

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