今のイギリスの礎を築く
サッチャー氏は「レーガン、サッチャー、中曽根路線」などともいわれ、70年代の「自由主義路線」を築いた。今のイギリスを作った人と言っても過言ではない。当時、多くの課題を抱え「イギリス病」「ウインブルドン現象」と表されていたほど経済は悪化していたのだ。
昔は「ゆりかごから墓場まで」といわれるほどの手厚い社会保障だったが、これが財政を圧迫。産業も低迷するほどの状況に陥り、1976年にはIMFの支援を受けるまでに状況は転落した。それを蘇らせたのがサッチャー氏である。
蘇らせた手法は、「小さな政府」と「自由主義経済」を軸とした政策。思い切った政策を展開。財政再建では、緊縮財政、石油・ガス・電話などの巨大国営企業を次々と民営化。一番大きい施策としては、新たな産業育成のために「ビッグバン」と呼ばれる金融証券部門の自由化を進めた。この結果、ロンドンの「シティ」は世界の金融市場となり、名だたる金融機関がイギリスに進出し復活し、今なおシティは世界の金融市場として続いている。これらの企業進出により、飲食等さまざまな需要の高まりによってイギリスは繁栄した。
映画にも描かれた苦しみ
「自由主義」と「小さな政府」という一方で、古い産業を切り捨てた。不採算の炭鉱を閉鎖するため、労働争議を規制し労組の勢力を削いだ。特に1984年から1年にわたった炭鉱ストでも妥協を拒否し、労組を敗北に追い込むなど、ここでも「鉄の女」ぶりを発揮した。
余談だが、この当時の炭鉱業界を描いた映画も数多く作られた。『ブラス!(原題:Brassed Off)』『フル・モンティ(原題:The Full Monty)』などである。『フル・モンティ』は苦しい状況の中で、何とか街を蘇らせようと男性がストリッパーとなる悲哀が漂うが、面白い映画だった。これは、サッチャー氏の強硬策によって苦しんだ人たちを表わした映画である。昔は平等で労働者の権利を重視していたが、この施策によって労働者はかなり苦しみ、自由化と競争原理を重視した。その結果、サッチャー時代は失業率が高まった。
イギリスをどう作り替えるか?
さて、メイ氏はこれからどうするのか。サッチャー氏の政策によってお金持ちとそうでない人の二極化が進んだのが今のイギリス病。このイギリスをどう作り替えるかというのが、メイ氏の大きなポイントだろう。
イギリスはこのままではヨーロッパから流入した移民に労働者の職が奪われることから、今回EUからの離脱を選択した。その半面、EU離脱によってドイツとフランスにいじめられるとイギリスも食べていけなくなる。できれば今までのイギリスとEUとの貿易などよいところはそのまま残し、悪い所は切り捨てるという交渉にこれから挑む。
イギリスのご都合主義には我慢ならないというのがEU、特にドイツとフランスであるから、「そんないい思いはさせない」と2年間の猶予ではなく、なるべく早く交渉を妥結させようということだろう。そういう意味でも、これからのメイ氏とEUとの交渉は困難な道のりであろう。