フジテレビが台湾に謝罪。いったい何を「やっちまった」のか?

 

これまでも述べてきましたが、台湾にこれほど日本文化が浸透しているのは日台の歴史と大いに関係があります。かつて日本は台湾を領有(1895~1945年)しました。その時代のことを、台湾では「日本時代」と呼んでいます。

終戦により日本は台湾から撤退しましたが、その間、日本人と台湾人の間には様々な感動的な逸話がたくさん生まれました。日本は、台湾の農業、教育、医療、インフラ(道路、上下水道、鉄道などの建設)と、あらゆる分野での発展に貢献しました。

資金を日本内地から調達してまで、台湾のあらゆる産業や建築物を作り上げました。今でも、総督府をはじめとする当時の建物はたくさん残っています。領有当時、台湾人と日本人の間には互いに信頼関係が築かれていたため、第二次世界大戦の戦況が厳しくなり、日本内地だけでなく台湾でも日本兵を徴兵したところ、募集数の数百倍の応募が殺到したのでした。

多くの台湾人は、日本のために尽くしたいと思っていたのです。中でも、台湾原住民で構成された「高砂義勇隊」は、山地でのサバイバル術に長けていたため戦争で大活躍したのです。台湾の原住民たちが日本兵になりたがったのは、日本への信頼からです。

日本は、それまで蛮人と呼ばれて恐れられていた台湾原住民に対しても、根気強く熱心に近代化を進め、教育や医療を積極的に取り入れさせたのでした。原住民たちは、教育や医療の有り難さを知り、日本に心を開くようになりました。それは原住民だけではありません。

「平埔族」と言われる平地に住んでいた人々も、同様に日本による近代化の洗礼を受け、日本に憧れるようになりました。「日本時代」に幼少期を過ごした年代は、成人してからも日本に憧れ続け終戦後も日本文化を知り日本語を使って生活していたのです。彼らの感傷は、台湾映画「多桑(とうさん)」で実によく表現されています。

●『多桑 ToSan 父さん

長くなりましたが、こうした歴史的背景があり、台湾に日本文化を受け入れる素地があったからこそ、今の台湾文化があります。台湾に入り込んだ日本語や日本文化は、台湾文化の一部としてすでに吸収されています

日台の先人が命をかけ、国運をかけて築き上げた信頼関係があったからこそ、今の日台関係があるのです。だからこそ、地震や天災で被害を受けると、互いに惜しみない援助の手を差し伸べることができるのです。

そうした精神は、「日本時代」が終わっても、今の人々の心に受け継がれてきている実に貴重なものなのです。そうした歴史を知らずに、「日本に憧れる台湾は日本のパチモンばかり」として台湾文化を嘲笑するようなテレビ番組を作るなど言語道断で傲慢もいいところです。

むしろ、今でも日本を信頼し、日本文化を台湾の一部として迎えている台湾人の精神に敬意を表すべきです。日台の絆は、世代が変わったからといって切れるような簡単なものではありません。それほど強烈な時代を共に歩んできたのです。日本でもそう感じている方が多いのでしょう、件の番組に対して台湾人のみならず日本人からも多くの批判が寄せられたといいます。

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