真田丸ロスまであと2話。幸村と共に闘った「五人衆」のその後は?

 

井伊直政(いい・なおまさ 1561年-1602年)

最後に、徳川方からひとり。徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑に数えられ、「井伊の赤備え」として名高い徳川家臣団最強の精鋭部隊を率いる武将です。没年から分かるように、大坂の陣より前に亡くなっていますし『真田丸』には直接は登場しません。『真田丸』で真田丸が完成し「完封」した回、真田丸を包囲する徳川勢を見て、

高梨内記「あちらにも赤備えがおりますぞ」

真田幸村「あれは井伊直孝(なおたか)の陣。かの井伊直政の次男坊じゃ」

高梨内記「井伊でございますか」

真田幸村「向こうにも、ここにいたるまでの物語があるのだろうな」

高梨内記「一度、聞いてみたいものですなあ」

というやり取りがあったのを、覚えてらっしゃいますでしょうか。井伊家の「ここにいたるまでの物語」が、来年の大河ドラマおんな城主直虎』そのものなんです。あのくだり、実は番宣だったわけですね(笑)。

赤備えは元は武田家が用いていたもので、武田四天王のひとりとして武名高い山県昌景(やまがた・まさかげ)や、その前は飯富虎昌(おぶ・とらまさ)が用いていました。井伊直政が赤備えなのは、武田の旧家臣団を吸収したから。真田の赤備えは、真田家も武田の重臣だった流れからでしょうね。

井伊直政については、来年の大河を観てください(笑)。

次男の井伊直孝は、大坂冬の陣では真田の挑発に乗って真田丸に突っ込み惨敗。夏の陣では活躍して名誉挽回しました。

井伊家は長男の直勝(なおかつ)が継いでいたのですが、出来が今ひとつ悪く、家康は井伊家を二つに分けて、直政の彦根藩は直孝に継がせ直しました。その子孫が桜田門外の変で暗殺された大老、井伊直弼です。

直孝が鷹狩に出た帰り、手招きする猫がいたのでその猫につられて小さな寺に入ると、突然の雷雨。雨宿りしつつ話し込んだことをきっかけに和尚と仲良くなり、その寺は井伊家の菩提寺として立派に改築され、豪徳寺となりました。

猫が招いた縁によるものということで、豪徳寺では招猫堂を立てて猫を祀り、後にその話が、ひこにゃんを誕生させました。ひこねのよいにゃんこ、も。

【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp

合同会社かぷっと代表
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image by: cowardlion / Shutterstock.com

 

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