捕虜のドイツ兵たちを感涙させた徳島県「板東俘虜収容所」の奇跡

 

別世界

到着した捕虜たちにとって、この収容所の生活は驚くべきものだった。およそ1,000名の捕虜が、8棟の兵舎に収用されていたが、それ以外にも図書館、印刷所、製パン所、製菓所など合計26棟の洋式の建物が建っていた。ビールやチーズ、ソーセージ、煙草などがこの収容所で作られており、自由に買うことができた。隣接してテニスコートやサッカー場もあった。

愛用のカメラを首から提げたヘルマン一等水兵は印刷所を訪れた。青島戦に志願する前は大学の文学部に在籍したので、ここで発行される週刊新聞の記者として編集者のマルティン中尉に誘われたのである。

マルティン中尉はヘルマンを散歩に誘った。鉄条網の向こうに見える畑では、地元民と捕虜たちが一緒に農作業をしていた

ドイツ式の農業を教えているんだ。捕虜たちの農作業の様子を見ていて地元民のほうから申し入れできたんだよ。

収容所の門を出る際には、10人ほどの日本の青少年が入れ違いに門を入ってきた。「地元の中学校の生徒たちだ。週に2回、ドイツ式の器械体操の実習に来ている。当時はまだ珍しかった器械体操を、テンペルホフ上等兵が鉄棒の大車輪などを実演しながら、教えていた。

外の田舎道を歩いていくと、彼らと同様に衛兵に付き添われたドイツ人のグループがそこかしこに歩いている

地元の工務店で蒸気エンジンの修理を教えている者や、酪農や建築を教えている者がいる。松江所長の方針でね。ハーグ条約で保障されている食費や医療費以外に、これらの収入が加わるので、ここの捕虜たちは地元民よりずっと金持ちなんだ。

ヘルマンは信じられない思いがした。

武士の情け

89名が到着して数日後、そのうちの一人カルル・バウムが脱走した。報告を受けた松江に、部下が「徳島の62連隊に協力を頼みましょう」と進言した。松江は即座に答えた。

連隊はいかん。連隊を巻き込めば、面倒なことになる。周囲は海と山、どうせ逃げられない。怪我などしないうちに、われわれの手で保護したい。

2日ほどして、カルルが自ら戻ってきた。傷の手当てをされている。しかし、本人は、山の中を逃げ回っていた、と言い張っている。松江は彼は山中で道に迷ったそれで良かろうと済ませようとした

「そんなことでは、捕虜どもに対するしめしが」と反対する部下に松江は諭した。

傷の手当てをしてくれたのは、たぶんこの板東の人だろう。だとすれば決して口を割るまい。それを明かさないのは、恩義を感じているからだ、脱走犯を助けたことで、罪に問われることがないようにしたいんだ。目をつぶろう。武士の情けじゃないか。

カルルが所長室に呼ばれた。殴る蹴るの制裁を受けることを覚悟していた。しかし、松江は優しい声で言った。

カルル君だね。君に一つ頼みがある。君は以前、青島のビクトリア街で、パン職人をしておったそうだね。どうだろう。炊事棟の要員に加わって、パンを焼いてくれないかね。

カルルは高木副官に製パン所に連れて行かれた。懐かしいパンの焼ける匂いが充満していた。カレルの視線が台の上でパン生地をこねている一人の手元に止まった。カレルはその手からパン生地を奪い取ると、

もっとこねるんだ。もっと強く。生地は生きて、呼吸をしている。この手で、それを、それを…

カレルは何度も力任せにパン生地を叩きつけて見せた。しかし、その背中がすぐに動かなくなった。「どうした。カルル」と高木副官が覗き込むと、カルルの目には涙があふれそうになっていた

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