安兵衛と梅吉、英三郎はあんパン作りに向け寝食を忘れるくらいに知恵を絞った。先ず状況と問題点を分析。
- 日本人は、酒まんじゅうや大ふくもちなど、あんを包んだ和菓子が好きである。
- パンは、これらの菓子とは異質の味であり、その風味も気になる。
- パン生地に砂糖や鶏卵を加えたら、和菓子の味にならないか。
- あんを包みこんで蒸すのではなく、パンのように焼けないか。
- 日本人に好まれる発酵の風味が出せないか。
しかし、試作の繰り返しは失敗の連続だった。酒種は発酵の管理が難しい。砂糖が多いのでうまく発酵してこない。生地がダレてしまって、パンにならない。しかし安兵衛らはくじけなかった。更に試行試作を繰り返す。そして、ついに米麹種という独特の工夫をこらした発酵を完成させる。
すなわち酒づくりに使うモロミ段階のものなら、甘酒などよりはるかに発酵力が強く、これなら相当砂糖を加えたパン生地でもふんわりと膨らむことが、実験の繰り返しでわかったのである。
これはもう異人ベーカリーの食パン生地ではなく、まんじゅうの皮ともパンともつかぬ発明品だった。安兵衛はこれで小豆あんを包み、しかも蒸すのではなく焼き上げた。世紀のあんパンの誕生である。
バルコニー付きのしょうしゃなレンガ作り2階建てが並ぶ銀座の表通り、まるでそこだけヨーロッパが引っ越してきた感じだったといわれるが、意外に空き家が目立ち、景気は今ひとつだった。そしてこの通りに、新橋・日本橋間の鉄道馬車が開通するのが明治15年(1882年)。にわかに活気の出始めたこの街で、最初の日本人ベーカー木村屋のあんパンが名物になり、売れ行きも激増して行く。明治から大正の末にかけ、毎日10万個のあんパンが売れ、いつも店頭に長蛇の列ができるほどだったという。