「植松電機に行ってから、何でもできるようになりました」
植松さんは、子どもたちのためにロケット教室を開いている。わずかな火薬で、高度100mまで飛んでいく。点火は電線を接続して、子供たちが自分の手で制御装置を操作して飛ばす。
海外製の教材なので説明書は英語だが、植松さんはロケットの作り方を詳しく説明したりはしない。失敗しそうになったときだけ助け船を出す。それでも子どもたちは、自分が作ったロケットがものすごい勢いで飛ぶんだよ、と教えられると、英語の説明書をなんとか読み解いて、作ってしまう。
他の子のロケットが飛んでいくのを見て、不安に負けて「どうせ僕のはダメだろう」などと、つぶやく子もいるが、その子のロケットが飛び出して、パラシュートを開いて戻ってくると、「どうせ無理」というあきらめを克服することができる。
ある幼稚園の子どもが、ただたどしい字で「植松電機に行ってから、何でもできるようになりました」と感想文を書いてくれた事が、植松さんは嬉しくてたまらなかったという。幼稚園児の「何でも」だから、たかが知れているだろうが、何でもあきらめずにやってみよう、という気持ちで、周囲のいろいろな事にチャレンジしているのだろう。
こうして自信を持った子供たちは、自然に周囲の友達にも優しくなる、という。自分に自信のある人は、他人に対して「どうせ無理」などという冷たい言葉は吐かない。
国家の総力は、そこに暮らす人々の未来の可能性の総和
今までの我が国では、一流企業、一流官庁に入るために「一流校にさえ行けば」と子どもたちを叱咤してきた。その過程で子供らしい夢や憧れを、「そんな事でいいのか」と押し潰してきた。
逆に、進学から落ちこぼれた子どもたちの夢は、成績が悪ければ、「どうせ無理」という言葉で、これまた押し潰してきた。
その結果、我が国は経済大国にはなったが、夢を失った国民からは新しい芸術も思想も産業も出てこない。それが現在の我が国が閉塞感に覆われている原因ではないか。
国家の総力は、そこに暮らしている人たちの能力の総和でしかありません。しかも能力の総和というのは過去の業績の総和ではなく、未来の可能性の総和です。
本当の国家の総力というものは、そこに暮らす人たちの優しさと憧れの総和のはずです。だから、優しさと憧れを奪ってはならないんです。
(同上)
たった20人の会社が宇宙開発に挑戦している。もっと大きな会社は、もっと大きな、様々な夢を目指していけるはずだ。そうした夢に向けた努力が、我が国の未来の可能性を押し広げていく。
文責:伊勢雅臣
image by: 植松努 Facebook