ヒントは鳥居。日本が世界に誇る「絶対ゆるまないネジ」誕生秘話

 

「今度はこのナットを使えって言うんやろ」

しかし共同経営者は「多少のゆるみのクレームなんかいいじゃないですか」とせっかく売れているUナットを潰しかねない新商品の販売に乗り気ではなかった。

お客様に喜んでいただくことを信条とする若林さんは、その共同経営者とは一緒にやっていけないと感じて、売上の3%の特許使用料を貰うという条件だけで、会社を共同経営者に譲ってしまった

昭和49(1979)年、若林さんはハードロック工業を設立した。しかし、やはりハードロックも、お客様に良さを理解して貰うのに時間がかかり、最初の2~3年はなかなか売れなかった。ナットが二つに分かれたことで、Uナットよりも価格が2~3割高くなってしまうし、作業の手間も増えてしまう。

用途としては、多少のコストと手間をかけても、ボルトが緩むことで大事故につながり兼ねない分野ということになる。まず目をつけたのが鉄道である。

当時の国鉄に行って、「車両や線路の保守点検作業が大幅に省けますよ」と売り込みをかけたが、当時、組合の強かった国鉄では、「それでは人減らしになってしまう。そんな提案をするんじゃない!」と追い返されてしまった。当時の国鉄は、こんな組合が幅を効かせていた。

そこで国鉄を諦め、私鉄に向かった。以前Uナットの売り込みをかけた阪神電鉄は「今度はこのナットを使えって言うんやろ」と試してくれた。

すると、保安要員がレールをつなぐボルトの緩みの点検・増し締めをする回数が大幅に減り安全性も向上すると分かって、正式に採用が決まった。他の私鉄や民営化後のJRも追随して、受注量が急増した。

さらに新幹線1編成には2万個以上のナットが使われていると知って、新幹線車両設計の部署に、いつものように商品を置いていくアプローチで売り込みをかけた。しばらくすると、鉄道総合研究所での厳しい試験の結果、ハードロックナットがダントツの性能を発揮したとして、採用が決まった。

新幹線は、金属疲労の関係で100万km走ると、ナットを全数交換する。それだけ、安定的な売上が見込めることになった。そして、新幹線に採用された実績で、ハードロックのブランド力が大いに向上した。

ネジが緩むというピンチをチャンスに変える、そして国鉄に断られたら私鉄に向かうという粘りがハードロックを生み育てたのである。

「うちの便所より小さいじゃないですか!」

その後、ハードロックナットは、電力会社の送電線用鉄塔や、電電公社(現在のNTT)の放送用鉄塔、日立製作所を経由しての原子力発電所などと、用途が広がっていった。

電電公社での採用が決まった時、工場を見に来ると言われて、若林さんは困った。町工場の狭い、汚い工場を見られては、注文を断られてしまうかもしれないと心配したからだ。なんとか、工場を見せまいと、とあがいたが、工場を見ないことには発注できないと言われて、観念した。

工場に連れてくると、電電公社のリーダー格が言った。「えっ! これうちの便所より小さいじゃないですか!」。これで取引は中断だ、とがっくりしたが、相手は続けて、こう言った。

「工場が古くて狭いのはいいんですよ。問題は生産管理や品質管理がまるでなっていないことですよ。ですから、われわれが指導しますんで、まずはマニュアルを整備して、その通りに品質管理をやってください」

「えっ…教えてくれはるんですか!」

「ハードロックナットそのものは素晴らしい技術ですから、我々もぜひ採用したいんです

また、山梨大学の澤俊行教授は、ハードロックナットと出会って興味を持ち、なぜ緩まないかを、理論的に証明してくれた。その研究成果をアメリカの学会で発表してくれたことから、国際的な認知度が高まった。

日本の社会では、世のため人のために頑張ってくれると、かならず、このように応援してくれる人が現れるのである。

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