それが正しいか、間違いか、の判断基準は「母からの教え」に左右される
赤ちゃんとして生まれた時に、すでに親から遺伝的に教えてもらったものは、夜になると寝るとか、お腹が減ったら食べる、辛ければ泣く・・・といったもので、人間的生活をするための情報のほとんどが生後に獲得したものだ。
まず、大脳に母親が教えてくれたことが入ったとする。それはまっさらな頭脳に書き込まれるから、かなり強烈で記憶の深いところに残る。だから、人間は母親の影響を強く受けるし、そのために母親は父親に対して3倍も多く言語を話すという特徴を持っている。そして、脳には母親の教えが入っているので、もし別のことが耳に入ると、まずは新しい別のことを排斥する。
当然である。つまり、母親が「こうしなさい」と教えるのは「正しい」。だから最初に頭に入るものは「正しいこと」として頭に入る。次の時に母親が「こうしなさい」と言ったこととは違うことが起こると、それが「正しいか間違っているか」を判断するのではなく、「母親に教えてもらったことと同じか、違うか」を考えるだけだ。つまり、「正しい、間違っている」ではなく、「同じか、違うか」という選択である。
このような状態がずっと続くので、人間の頭脳は最初に聞いたことが「正しい」と勘違いし、それと違うことを聞くと「間違っている」と思う。
ある程度成長すると、人間の頭脳にはいろいろな情報が入ってくるので、後天的に得られた情報そのものが矛盾してくる。そうなると、「どれが正しいか」を自分で考えるので、少し先入知識の影響が弱まる。でも、やはり考える筋道としては、まず「自分として何が正しいとしてきたか=最初に正しいとして聞いたこと」を考え、それをもとに「新しいことは正しいか」となるので、やはり本当に正しいというのではなく、先に何を聞いたかがポイントになる。
これは大学で工学部の学生に実験をさせるとよくわかる。初心者に実験をさせると、まず「これまでのデータと違うと困る」と思っている。本当は実験をするのだから、これまでと違うデータがでないと、もともと実験する意味がないが、そんな経験をしていないので、学生は前のデータが気になる。
さらにもう一つ学生が頑固になるのは、自分が出したデータと、その前に他人が出したデータが異なると、「自分のデータが正しい」と主張するのが常だ。私(教授)が「なんで君のデータが正しいのだ」と聞くと「自分のデータですから」という答えが返ってくる。もちろん、答えになっていないが、人は自分というものと正しいというものがリンクしている。(つづく)
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