時間をかければ一生懸命と評価される社会と正反対な虫採りの世界

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趣味は、忙しい仕事の時間の合間に時間を作り、限られた時間の中で集中して取り組むとその楽しさが際立つもののようで、CX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみ池田教授は、定年後「虫採りに行くパトスが減衰したのかもしれない」とこぼしています。しかし、今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では、3日間にわたった沖縄での虫採りの話を楽しそうに振り返っています。狙いは、6年前に発見され、池田教授らが発見者の名前を冠し新種として記録したオキナワホソコバネカミキリのメスだそうですが、成果はどうだったのでしょうか?

ネキを採りに沖縄に行く

定年後、何のかんのと忙しく、遠方に昆虫採集に行く暇がなかった。やっと少し時間が取れるようになって、5月5日から10日まで沖縄に虫採りに行ってきた。虫採りに限らず、何事も癖のようなもので、しばらく遠ざかっていると、いざ出陣となっても、なんだか億劫になって、メンドクサイなという気分になる。

もともと、何をするのもメンドクサイ質なのだが、現役の時は講義などの仕事は義務だったので、メンドクサクともやるしかなかったわけで、なるべく無駄なエネルギーを使わずに効率を優先するように心掛けた。仕事は時間をかければかけるほどうまくいくというものではないのだ。

日本の世間では、特に学校では、仕事の質よりも一所懸命さを評価する風潮が強くて、生徒も先生も居残りや残業を厭わず、時間をかけて努力をする姿勢は貴いと評価され、手際よくさっさと仕事を済ませる人は、とっぽい奴だと言われて非難された挙句、余計な仕事を回されたりする。それで、賢い人はノルマをさっさと済ませ、後は一所懸命やっているふりをする。それが、周囲の嫉妬を回避する最も簡単な方法だと心得ているのだろう。教育という分野は成果がはっきりしないので、無闇に時間をかけても、一所懸命やっても、成果が上がらなければ無駄だ、という言説が通りにくい。

虫採りは全く反対で、どんなに一所懸命でも1頭も採れなければイモと言われて馬鹿にされ、いい加減にやっていても沢山採れば、天才と褒められ、ついでに1頭下さいとねだられる。虫採り仲間の友人の中にも、ものすごく虫採りが上手い人もいれば、イモ代表のような人もいる(今や、私はどちらかというと後者に近い)。それでも、皆さん嬉々として虫採りに出かけるのは、虫が採れる採れないはともかく、虫採りという行為自体が楽しいからだろう。

もちろん、仕事が楽しい人もいるだろうが、それは仕事をすれば成果が上がったり、その結果、給料が上がったりするからだ。成果が上がらずに収入もどんどん下がって、それでも仕事が楽しい人はまずいないと思う。虫採りも沢山採れた方が楽しいには違いないが、採れなくても、鬱になって落ち込むことはない。趣味と仕事の違いである。若い人の中には、趣味を仕事にできればどんなに楽しいことだろう、と宣う人がいるが、勘違いをしているとしか思えない。趣味の虫採りはボウズでも楽しいが、生活が懸かっていたら、おまんまの食い上げになる。

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