万年赤字の「USJ」を立て直した男が、丸亀製麺を復活できた理由

 

トリドールの粟田貴也社長によれば、「丸亀製麺」を創業した経緯は次のようになっている。

粟田社長は1985年に兵庫県加古川市に焼鳥居酒屋トリドール」を開業。しばらくは焼鳥の業態でローカルな小チェーンを営業していた。一方で、父方の実家が香川県坂出市にあり、親類も香川県にいたので、時折香川県で讃岐うどんの文化に触れる機会が子供の頃から自然とあった。

今から25年ほど前、ちょうど讃岐うどんのブームがあり、県内の小さな製麺所に長蛇の列ができていたのを粟田社長は発見。何事かとその列に並んでみると、出来立てのうどんをお茶碗に入れてもらって醤油をかけて食べる、それだけだったという。

香川県のうどん事情に詳しい人の指摘では、顧客がお茶碗を持って並んで出来立てうどんを盛ってもらい、醤油をかけて食べる店、それも「丸亀製麺」のように水で締めない釜揚げを出すのは激レアとも聞くが、ともあれ粟田社長が自ら話す感動体験はこのような内容だ。

釜揚げうどん

釜揚げうどん

粟田社長はそれまで一所懸命に焼鳥屋の商売をしてきたが、なかなか売上を伸ばせなかった。顧客が本来求めている本質とは、かけ離れていたのではないかと反省。その製麺所にこそ顧客が最も求めている手づくり出来立ての価値があると確信した。ならば、ぜひとも自らトライしたいというのが「丸亀製麺」創業の思いだったとのことだ。

従って、「丸亀製麺」のコンセプトは“製麺所”であり、当時はまだまだ普及していなかったセルフ式の讃岐うどんの良さを全国に知ってもらいたいとの思いで、製麺所付きの低価格うどん店を広げてきた。つくり立ての麺を釜でゆがいて提供する過程を、オープンキッチンで見せることで、でき立ての臨場感が体験できる趣の店になっている。

丸亀製麺 店舗

丸亀製麺 店舗

「丸亀製麺」は2000年に1号店を加古川市に出店。創業の思いが通じて、8月末現在で国内825店、海外も合わせて1,019店にまで成長し、うどん・そばでは最大のチェーンとなった。

特徴として、店に入ってすぐの場所に製麺機があり、全ての店で製麺を行っている。原料は、香りの高い北海道産の小麦から挽いた小麦粉と水と塩のみで、タピオカなどの混ぜ物は一切加えていない。一方で、手づくりとはいっても機械を操作しているだけ。うどんは水によって味が左右されるのに、水へのこだわりはないのかなどといった批判はあるが、全てにこだわっていては低価格で出せない。大衆チェーンを構築するにあたり、こだわる部分をトリドールなりにチョイスしていると言えるだろう。

「丸亀製麺」は一時期不振に陥った時期があり、乗り切るために、それまで広告を打たずに口コミで顧客を増やす方針を転換して、14年からはフェアーメニューを前面に出したCMを流して成功してきた。特に、甘辛くすき焼き風に煮込んだ牛肉をたっぷりと盛った「肉盛りうどん」などはヒットしたが、徐々に飽きられ、かつフェアーメニューがしばしば600円以上する「丸亀製麺」としては高額だったため、景気が減速してくると共に顧客が価格的についていけなくなってきていた

「我々の出来立てを提供する思いは一切変わっていないつもりだったが、お客様の思いと離れてきた。これは客観的にマーケティングで一番の人、刀の森岡さんに見てもらいたいと考えた。人脈を頼りにアプローチをし、現状を大きく変えていくにはどうすればいいかを相談させていただいた」と、粟田社長は森岡氏と協業に至った理由を説明した。

粟田社長(左) 森岡氏(右)

粟田社長(左) 森岡氏(右)

人口減のフェーズに入った日本の、しかも成熟マーケットと考えられているうどんの分野で、マーケティングの有効性が実証されれば、外食のみならず成熟マーケットとされるあらゆる日本の商品市場に革命が起こるだろう。

森岡氏は、マーケティングで日本を元気にすることをコンセプトに、USJ退社後の3年前に刀という会社を立ち上げている。“森岡メソッド”では数学を使って様々な市場分析、需要の予測などを行うが、その企業の本質的な価値を洞察し、その価値を引き出して最大化することを考える。森岡メソッドによれば、マーケティングとは理科の実験のように再現性を有する科学である。

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