【書評】「あれは民主化運動ではない」元中国人が語る天安門事件

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1989年に中国で発生し、今年6月で30年を迎えた「天安門事件」。中国の民主化を求めた学生のデモ隊に対して中国軍が武力で鎮圧し、多数の死傷者を出したと言われる事件です。事件から30年経ったことを契機に、新たな目線でこの事件を見つめる必要があると対談で語るのは、中国を知り尽くした「二人」でした。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』で編集長の柴田忠男さんが、知られざる天安門事件の真相について語った興味深い一冊を紹介しています。

偏屈BOOK案内:石平 安田峰俊『天安門三十年─中国はどうなる?』

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天安門三十年─中国はどうなる?
石平 安田峰俊 著/扶桑社

石平は1962年生まれ。安田峰俊(ルポライター)はちょうど20歳下、1982年生まれ。これは対談だが、安田はカウンセリングを行っているみたいだと、何度かそんな思いにとらわれたという。話題が天安門事件の1989年6月4日の武力鎮圧のくだりになるたび、石平は重苦しく沈黙し、ときに嗚咽を漏らしたからだ。天安門事件当時石平は日本に留学しており、2007年に日本に帰化した。

広義でいう天安門事件とは、1989年の4月半ばから6月4日まで北京の天安門広場を中心に、中国全土に拡大した民主化運動の広がりと、それに鎮圧されるプロセス全体のことをいう。その後、30年間ずっと、石平の認識では天安門の運動は「民主化運動」だった。多くの教科書や書籍もそう記述している。しかし、30年後の今、あの運動がいちばん訴求していたのは、果たして民主化だったのかどうか、吟味する必要があるということで、中国通の安田との対談になった。

石平 「天安門の学生運動が持ち上げられすぎた面、神聖化された面はあるんです。運動をしていた人たちは、最初から壮大なる民主主義の理念に基づいて、三権分立、民主主義社会の建設などの高邁な理念を掲げて始めていたわけではない。恥ずかしながら30年経ってそのことを初めて確認できた」

学生運動の七大綱領を見ると、「体制内で大事にして欲しい」という要素が大きかった。

学生達のいうことは、専制体制の撤廃とか政府の打倒ではない。むしろ体制・政府の存在を認めた上で、自分たちを正当に評価してくれというものだった。命をかけて求める内容が「自分たちを政府に認めてもらうこと」なのだ。「学生運動が『偉大な民主愛国運動』であることを認めよ」なんて要求しているのだ。要するに、最後は自分たちの正当化のための運動になってしまった。

この国のためにどういう社会システムを再構築するか、社会の理想をどう実現するかということよりも、自分たちの運動がいい運動であることを認めて欲しいというのだ。学生たちが一番恐れていたのは、「認めてもらえない」ことだった。政府が愛国運動と認めてくれれば、この運動が終わったあとでも、自分たちは生きていけるが、そうでないと行き場がない。相当情けない主張だな。

安田 「中国には『秋後算帳(秋になってから計算する)』という諺があります。たとえば何らかの混乱状態が発生したとする。当事者たちは発生中の段階ではのびのびやれるのですが、コトが終わった後に権力の側からツケを支払わされるように罪を問われる。それを中国人は恐れます」

って、あなたは中国人か。釈迦に説法。それにしても、日本人があの当時から今まで想像していた中国人学生像とはえらく違う。

「当事者としての自分自身から距離を置いて、当時の石平ではなく、ある程度は研究者の目で、客観的な視点で天安門事件を見つめてみたい」という石平だったが、武力鎮圧の具体的な話に入る前に「これは安田さんが話して下さい。私は口にしたくない」と言う。しかし、話が進むと「すいません。やはり具体的な話は、俺はまだ駄目みたいだ。やめよう」となった。話を先に飛ばした。

天安門事件において、実は「広場内での流血はなかった。学生達は午後5時半までに広場から退去した。広場の学生を無血排除するという作戦目的のために、その遂行過程、例えば市内での進撃において生ずる障害に対して、武力行使は正当化されていた。天安門事件は、実際は北京市内事件」だった。そして中国の経済発展は、天安門事件から始まった、といえるだろう。

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