在NY日本人社長がコロナ禍で叫ぶ「もっと前のめりになれ」の意味

 

始めることから逃げてるだけじゃ?

今まで、おそらく100人以上の若い参加者に、そう話してもらいました。でも、100人を超えたあたりから、僕が思うことは「で、いつ始めるの?」ということ。嫌味や皮肉じゃありません。本当にリアルに疑問に思ってしまう。もちろん年代にもよると思うのですが、で、いつ始めるんだろうと心からクエスチョンになる。

もちろん、社会的にも規模的にも巨大企業の、たとえば140億円を投資する新規事業であれば、社会情勢、人材確保、為替等マーケティング期間は必要となります。開始するタイミングを見合わせる必要性を感じます。他にも例えば、「住宅ローンを返済し終わったら」「下の子が大学を卒業したら」そこから始めようと思う、というのならまだ理解もできます(いや、実はこの場合もそう理解はできないけれど)。

でも、僕ごとき、あるいは僕のセミナーに来てくれる大学生くん達が、なんのタイミングを待つ必要があるのか。始めることから逃げているんじゃないのか。そう本人たちに言うと、怒るはずです。無意識だから。逃げている自覚自体がないから。でも、その「いつか」がずっとこないまま、人生も定年を迎えている諸先輩方を僕はあまりに多く見すぎてきた。

100人、挨拶にきてくれる彼らのうち、10%、つまり10人くらいは「すでに始めています」と言ってきてくれます。すでに小説を書き始めています。プログラミングを手がけています。スタジオで音合わせもして自主制作のCDを作り始めています。受験勉強を始めています。会社登記を終えました…etc.。

ロックダウンまでは、その10%を僕は「偉い」と褒め称えていました。拙著『武器は走りながら拾え』にも「ゼロから1歩踏み出せば成功したようなもの」といった類のことも書きました。「●●を始めたい、と言ってるだけより、すでに1歩でも何かを始めています、の状態の方がずっと偉い。両者の間には、すでに夢に向かって具体的な行動を起こしているか、いないかの、決定的な溝がある」みたいなことを書きました。

でも、今回、世界的ロックダウンを身を以て経験して、僕は、その10%ですら、ダメなんじゃないか、と思ったのです。それすら全然、十分じゃないんじゃないか、と。「すでに1歩を踏み出した」、「ゼロではない」、「夢にむかって生きている」層は、それだけで安心しきっちゃってると気づいたからでした。

高橋センセに言われたように、もう、僕は、アタシは、1歩を踏み出しました。いつか、いつかと口で言ってるだけの連中とは違います。そう安心しきって優越感に浸っている表情の参加者も10人中、9人ほどいたからでした。

スタートを切った後は?無意識に結果を出すことから逃げている。白か黒かをつけたくない。なぜなら、せっかく、今、夢にむかってる真っ最中な身分を手に入れたのだから。

小説1冊書き上げたけど出版社から断られたので、もう1冊書こうと思ってるんです。ゲームプログラミングで1回当てたので、次また違う作品作ろうと思ってるんです。1回CDデビューしたけれど、思ったほど売れなかったので、次はヒット曲書きますよ。受験落ちたけど、もう傾向と対策はわかったので、次はなんとか合格します。事業で黒字を出したので、それを元手にまた新たなビジネスモデルに挑戦しようと思ってるんです…etc.。

ここまで話してくれる参加者は10人中、ひとりくらいでした。つまり、挨拶にきてくれる100人中ひとりくらい(もちろん、すでにそこまでやっている人間は、僕のセミナーに参加する必要性もないのが最大の原因だとは思います)。だからこそ、白黒、つけよう。焦って、前のめりになって結果を求めよう。

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