元検事が回想する「賭け麻雀」常習組織としての検察庁。官邸の守護神・黒川氏の新任時代とは

 

その年の任官者(35期)には、後に「官邸の守護神」と言われ、「賭け麻雀」で辞任した黒川弘務氏、その黒川氏と検事総長のポストを争い、総長になった林真琴氏、陸山会事件で小沢一郎氏の起訴をめざす捜査を執念深く行い、虚偽捜査報告書作成事件という重大な問題まで引き起こした佐久間達哉氏などがいた。まさに多士済々であった。そうした35期新任検事の中で、なぜ、私が代表として選ばれて答辞を読むことになったのかわからない。おそらく、「比較的若い理系出身者」であることに着目して、強引に私を検察に勧誘した佐藤道夫氏が、上席検察教官(10人の検察教官の筆頭で検事正クラスのポスト)として、成果をアピールしたかったということであろう。

在京の法務・検察幹部も出席する新任検事歓迎の行事である大臣招宴で、検事として仕事をしていく決意を述べるということだった。まず、その原稿を作って見せるように言われた。私が勝手な考えで作った原稿に、何点か修正するように指示があり、原稿は固まった。そして、無事、「2回試験」にも合格して研修所を終了、1983年4月1日の任官の日を迎えた。

辞令交付式で、法務大臣の辞令を受け取った後、法曹会館での大臣招宴に臨んだ。答辞を述べる私の席は、法務大臣の目の前だった。その時の法務大臣は秦野章氏。当時、ロッキード事件で東京地検特捜部に逮捕・起訴された田中元首相の一審公判が東京地裁で続いていた。秦野氏は田中派で、ロッキード裁判潰しのために田中元首相に送り込まれた法務大臣などと言われていた。

私は、せっかく、その秦野法務大臣の目の前で、新任検事を代表して「答辞」を述べるのだから、予め用意した「原稿」に、一言ぐらい自分の言葉を付け加えてもいいだろうと思った。そこで、原稿の中の「あらゆる事件に対して厳正・公平に、与えられた権限を行使して、その使命に応えたい」の前に、「一介の泥棒に対しても、元総理大臣に対しても、厳正・公平に法を適用して」の言葉を、勝手に付け加えた。

その頃、ロッキード事件公判は、大詰めに差し掛かり、その年の秋に判決が言い渡される予定だった。秦野法務大臣は、「嘱託尋問は違法である」など、捜査を進める検察への批判を繰り返していた。秦野氏が晩年に出版した自著で、法務大臣時代を回顧し、「田中が一審で無罪判決となった場合、検察に控訴をさせないために指揮権を発動する心積もりであった」としている。

そういう法務大臣の目の前で、「新任検事の若造」が、生意気にも「元総理大臣にも厳正・公平に」などという言葉を述べたのである。その言葉を述べた時、私の視線は、「原稿」に向けられていたので、周りの状況はわからなかった。しかし、おそらく、一瞬、秦野法務大臣も、招宴に参加していた法務検察幹部も、顔色が変わったことだろう。

私の「原稿」をチェックした検察教官は、面子をつぶされたと思っただろうし、出席していた法務・検察には、「常識外れの若造」と思われたであろう。その後、招宴の間じゅう、私は、秦野大臣と話をしていた。

招宴が終わってから、他の新任検事から、「あんな人とよくあんなに話ができるね」と言われた記憶がある。話した内容で覚えているのは、「検事と警察幹部の人事交流をやったらどうですか」というようなことだった。秦野大臣が元警視総監だということを知っていたので、警察と検察の関係に関連する話をしてみたものだった。しかし、これも、検察の実務にこれから就こうとしている新任検事がエラそうに言うことではない。やはり、任官初日から、私は、検事として「規格外の人間」だったようだ。

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