元検事が回想する「賭け麻雀」常習組織としての検察庁。官邸の守護神・黒川氏の新任時代とは

 

その翌日から検察の捜査・公判の現場に配置された新任検事も、研修所を出て法曹資格を取得し、検事に任官したのだから「一人前の検事」というような扱いだった。当時は、検察幹部の「講話」や、東京地検の各部の副部長の「講義」があっただけで、カリキュラムに基づいた「新任検事教育」というのはなかった(1990年代からは新任検事の集合教育が始まり、任官後3か月程度、浦安の法務省法務総合研修所で、泊りがけで新任検事研修が行われるようになった)。いきなり、警察から送致されてきた事件の捜査や処分を行う刑事部や、公判立会を担当する公判部に配属され、検察官の実務を行う。「指導係検事」は一応いるが、公判も、最初の一回以外は、すべて一人で立ち会ったし、取り調べや処分の決定も、副部長の決裁でチェックを受けるものの、基本的には一人で行った。

検察官というのは、「独任制の官庁」と言われ、一人ひとりが独立した権限を持っている。新任検事であっても、事件を配点(担当事件の割当てのことで、副部長、次席など直属の決裁官が行う)されると、その事件について取り調べを行って、起訴不起訴の処分を決め、自分の名前で起訴状に署名する。日本では「国家訴追主義」がとられており、公訴提起、つまり刑事事件の起訴は、検察官だけが行うことができる(刑訴法247条)。また、「起訴便宜主義」が定められていて、犯罪が認められる場合でも、「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる」(248条)。要するに、検察官には、起訴をするかどうかについての広範な裁量権が認められている。

新任の検事でも、担当する事件について、起訴するか不起訴にするか、という処分の決定を、検察官としての自分自身の権限と責任で行うことになる。新任検事に配点されるのは、それ程重大ではなく、組織的な背景もない事件が大半だ。その中には、窃盗や覚せい剤で刑務所の出入りを繰り返している被疑者のように、当然に勾留する事案もあるが、日頃は真面目に会社員として仕事をしている人間が、酔っぱらって喧嘩をした、警察官に殴りかかった、というような「偶発的な事件」で逮捕され身柄送致されてくる場合もある。そのような場合、そのまま釈放するか、勾留請求するかは、被疑者にとっては重大な問題だ。「深く反省しています。二度とこんな間違いは起こさないので釈放してください」と平身低頭して懇願してくる被疑者を勾留請求するか、釈放するか、主任検察官が判断する。上司の副部長の決裁を受けるとは言っても、単純な事件であれば主任検察官の意見が通る。その判断は被疑者の一生を左右しかねない。いきなり、そういう重要な判断を行う立場に立ったことに、緊張感と充実感を覚えた。

検事の世界は、個別の事件を担当し、自分で被疑者を取調べ、上司の決裁を受けて起訴・不起訴の処分を決める、ということの繰り返しの中で、仕事の中で仕事を覚えていくという「オン・ザジョブ・トレーニング」の世界だった。そして、そういう経験知中心の世界では、組織の構成員の関係は濃密となる。それが、連日の麻雀と庁舎内での飲酒の付き合いだった。当時の検察では、勤務時間が終わると、庁舎内のあちこちで、酒盛りが開かれていた。刑事部にも、公判部にも、各部屋に冷蔵庫があり、その中には冷えた缶ビールがあった。部屋で「乾き物」をつまみに酒を飲む毎日だった。新任検事時代だけでなく、その後も、庁舎内での酒代を個人で負担することは殆どなかった。飲む酒は、警察などから持ち込まれるビール券等によって賄われていたようだった。

権力と戦う弁護士・郷原信郎さんの初月無料で読めるメルマガご登録、詳細はコチラ

 

print
いま読まれてます

  • 元検事が回想する「賭け麻雀」常習組織としての検察庁。官邸の守護神・黒川氏の新任時代とは
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け