元検事が回想する「賭け麻雀」常習組織としての検察庁。官邸の守護神・黒川氏の新任時代とは

 

麻雀も、盛んだった。というより、検察庁全体が、常習的な「賭け麻雀」組織のような感じだった。新任検事同士での麻雀、上司や先輩との麻雀など、面子はいろいろで、当時、霞が関の検察庁舎から近い虎ノ門に多数あった雀荘では、あちこちで検事の集団が卓を囲っていた。もちろん、「賭け麻雀」である。レートは、「テンピン」、つまり千点100円だったが、「割れ目、ドボンあり」のインフレ・ルールだったため、単なる「テンピン」より動く金額は多かった。賭け麻雀の精算は、その場で行うのではなく、集計して給料日に精算することになっていた。情け容赦ない「勝負の世界」だった。麻雀経験の長い先輩・上司が、若い検事から金を巻き上げることが多かった。1カ月の給料の大半を取り上げられる程負けが込んでしまい、妻にどう説明したらいいか悩んでいた新任検事もいた。まさに、組織的かつ常習的な「賭け麻雀」。新任検事の間で「『博徒結合罪』だよな」などという冗談が出ることもあった(博徒結合図利罪:刑法186条2項後段「博徒を結合して利益を図った者は、3月以上5年以下の懲役に処する」、職業的な賭博行為者(博徒)を取り仕切って縄張り内で賭博を行う便宜を提供し、利益を得ようとする行為)。

こうした新任検事時代の「検察『賭け麻雀』文化」の中で共に過ごした同期の検事の一人が、黒川弘務氏だった。彼の麻雀は「明るく陽気な麻雀」だった。島田紳助に似た顔つきで、話も「芸人」のように、ひょうきんそのものだった。同期の新任検事の中には、「幼い頃から検事一筋」という「ガリP」と呼んでいたタイプの人物もいた。法曹界でPは検察官(Prosecutor)を指す。その中で、黒川氏は、「検事らしくない」最も親しみやすい人物だった。彼の「賭け麻雀」好きが、40年近く経った2020年まで続いていた、というのは驚きだったが。

 

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image by: , CC BY 3.0, via Wikimedia Commons

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1955年島根県松江市生まれ。1977年東京大学理学部卒業。鉱山会社に地質技術者として就職後、1年半で退職、独学で司法試験受験、25歳で合格。1983年検事任官。公正取引委員会事務局審査部付検事として独禁法運用強化の枠組み作りに取り組む。東京地検特捜部、長崎地検次席検事等を通して、独自の手法による政治、経済犯罪の検察捜査に取組む、法務省法務総合研究所研究官として企業犯罪の研究。2005年桐蔭横浜大学に派遣され法科大学院教授、この頃から、組織のコンプライアンス論、企業不祥事の研究に取り組む。同大学コンプライアンス研究センターを創設。2006年検事退官。2008年郷原総合法律事務所開設。2009年総務省顧問・コンプライアンス室長。2012年 関西大学特任教授。2017年横浜市コンプライアンス顧問。コンプライアンス関係、検察関係の著書多数。

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