なぜトヨタ生産方式「生みの親」大野耐一は“型破り”でも許されたのか

 

企業文化の系譜

ドラッカーは

「『人こそ最大の資産である』という『組織の違いは人の働きだけである』ともいう、事実、人以外の資産はすべて同じように使われる」

と言います。さらに

「人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである」

「人が雇われるのは、強みゆえである能力のゆえである」

と言います。けれど

「マネジメントのほとんどが、あらゆる資源のうち人がもっとも活用されず、その潜在能力も開発されていないことを知っている。だが現実には、人のマネジメントに関する従来のアプローチのほとんどが、人を資源としてではなく、問題、雑事、費用として扱っている」

けれども大野耐一さんは「人を強みの源泉」として扱ったのです。

大野耐一さんは貴重な“稀人”で、多くの組織においては「持て余し者」として排除されてします部類の人でしょう。「豊田佐吉翁」「豊田喜一郎さん」「石田退三さん」そして「豊田英二さん」という「企業文化の系譜」が「トヨタの従業員が『人こそ最大の資産である』」として育て上げるように全面的に支援したのです。

トヨタの系譜について「石田退三さんの“視点”」で語って行きます。その前に石田退三さんの人となりを、あるエピソードで紹介します。

終戦後、生産体制がやっと整い、輸出により買い手を見つけようと通産省へ押しかけたところ「GHQへ頼むがよかろう」と言われて、それならということでGHQへ乗り込んだそうです。その時のやり取りで

「『いま、うちに家族ぐるみ5,000人おる。ひとつ許可してもらいたい』担当者はスチーブという若い少佐だったが『輸出禁止令を知らんのか、三流国が輸出するとは何事か』その言葉にムラムラと燃えてきた私は『輸出がダメなら、かわりにメシをよこせ』」

そんな問答を3日間続けて、やっと輸出ワクを得たそうなのです。

トヨタの“ものづくりの精神”は、豊田佐吉翁にはじまります。石田さんは、こんな言葉を聞き続けたのだそうです

「『能率のいい織機を造れ。素性のいい糸ができる紡機を造れ。そいつを織機にしたときに、ちゃんと“風合い”の出る、そんな糸ができる機械を造れ』これなども、やはり『よい品、よい考』のおもんばかりである」

print
いま読まれてます

  • なぜトヨタ生産方式「生みの親」大野耐一は“型破り”でも許されたのか
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け