問題はそれだけではありません。なんと運転手の人たちが待機する選手村にある部屋も、バス運転手の宿泊所も、かなりの「密」だというではありませんか。
宿泊所を訪ねた野党議員のツイッターによれば、「宿泊環境は聞いていた以上に悪い。小さな冷蔵庫と電子レンジが30人が使う共用スペースに各1台だけ。共同洗面所は狭くしかも仕切りがない」とのこと。
いったい組織委は「ボランティア」を何だと思っているのでしょう。
ボランティアの多くの人たちは、少しでも海外から日本に来てくれた人たちが「東京五輪、やってよかったね!」思ってもらえるようがんばってるわけです。
コロナ禍での開催で、「ボランティをやるべきか、辞退するべきか」を悩んだ人たちも多かったはずです。開催が決まり「自分が辞退したら困る人が多いだろう」と責任感だけでやっている人もいるかもしれません。
そういった「善意」を利用し、無茶な労働をさせるとは。「え?でも、ボランティアだし」とでも思っているのでしょうか。
国連ではボランティアを「個人が利益、賃金、出世を目的とせず、近隣、そして全社会のために行う貢献活動」と定義し、経済企画庁国民生活審議会は「自発性に基づく行為であり、慈善や奉仕の心、自己実現、相互扶助、互酬性といった動機に裏付けされた行動」としています。
ボランティアに参加する人たちは、こういった定義のことは十分理解したうえでエントリーしたことは明らかでしょう。
しかし、無償でも「労働者」であることに変わりはなく、ボランティアを使う側には「ボランティア保護の責任」がある。なのに組織委にはその自覚がないのです。
組織委だけではありません。阪神淡路大震災以降、さまざまな分野でボランティアが活躍していますが、「保護」という視点が欠如しているのが日本です。
例えば、ドイツではボランティアに対する労災保険の適用が一部認められていますし、フランスではボランティアを派遣する団体には一般労働者と同様の社会保障制度に加入させる義務が課せられています。
とにもかくにも今回の東京五輪では、「日本の常識、世界の非常識」であることがさまざまな側面で明らかになりました。
五輪ボランティアの問題が続出してる今だからこそ「ボランティアを守る対策」に早急に手をつけ、日本でのボランティア活動のあり方にまで繋げてほしいです。
…今の日本じゃ無理ですかね。コロナ対策でも一年前からずっと同じことやってますしね。
みなさんのご意見、お聞かせください。
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image by: MAHATHIR MOHD YASIN / Shutterstock.com