未だ米軍占領下。自民党が「日米地位協定」を見直そうともせぬ深刻な現実

 

そもそも自民党は、1951年9月のサンフランシスコ講和条約で日本が主権をとり戻した後、米国が“再占領”するためにつくった政党といっても過言ではない。

1950年に勃発した朝鮮戦争をきっかけに、日本の「赤化」を恐れるようになった米国は対日政策を転換し、「反共」の中核として利用できるA級戦犯を巣鴨プリズンから釈放した。その代表的人物が、のちに首相になる岸信介氏であり、極右の巨魁、児玉誉士夫氏だ。

巣鴨から釈放されたあと、児玉氏はGHQの情報機関G2に雇われ、その後、米中央情報局(CIA)のエージェントとなった。米情報機関にすれば、児玉の戦前からの闇のネットワークが魅力的に見えたに違いない。

児玉氏は戦前、右翼の秘密結社「黒竜会」を支援するとともに、政府の依頼で、中国大陸における資材調達を請け負った。「児玉機関」と呼ばれるそのあくどいやり方が、のちにA級戦犯とされる根拠となった。それは、ヤクザの部隊を結成して中国の村々で村長を射殺したうえ、金品を略奪させるという荒っぽさだった。アヘンの売買でも荒稼ぎし、金、銀、プラチナなどの財宝をためこんだといわれる。

児玉氏は戦後、莫大な資産を持って上海から帰国。巣鴨を出たあと、その一部を自由党結党資金として提供した。自由党は1955年、日本民主党との保守合同で、いまの自民党になった。

CIAが1950年代後半から60年代初めにかけて自民党に秘密資金を提供していたことも、2006年に米国務省が刊行した外交資料で明らかになっている。1958年5月の衆院選前、アイゼンハワー政権はCIAを通じて、自民党の「親米的、保守的な政治家」に資金を提供したといい、それは60年代まで続けられた。

「砂川裁判」の最高裁判決(1959年)がアメリカ政府の指示と誘導によってなされたという驚愕の事実も2008年、米公文書で明らかになっている。最高裁長官、田中耕太郎は、安保条約のような高度な政治的問題について最高裁は憲法判断をしなくてよいという判決を出し、以来、そういう考えは保守派から「統治行為論」と呼ばれて、あたかも法学上の「公理」のごとく扱われている。

日米安保にかかわる問題なら、たとえ憲法に反する場合でも、最高裁は違憲判決を下さない。そういうことであれば、日本の官僚は米国の言いなりになることこそ保身の道と考えるだろう。

米国はその後も、日米構造協議や、毎年の年次改革要望書などによって、米国資本に都合のいい社会、経済構造に日本をつくり替えてきた。

アメリカに追随することはできても、決して「ノー」と言えない遺伝子は自民党政権と、それを支えてきた官僚機構に受け継がれている。安倍元首相などはトランプ大統領と何度もゴルフをして親密さを国民にアピールしたことをもって、外交に成功したと高く評価されているほどだ。

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