地位協定の見直しのチャンスがあったとしたら、政権交代で非自民政権が誕生した時だろう。とくに沖縄返還や核持ち込みなどをめぐる日米間の密約を暴こうとした民主党政権の初期だ。
民主党が2009年の総選挙で掲げた政権公約には次のように記されていた。
「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」
だが、日米地位協定の改定が提起されることはなかった。当時の鳩山首相は普天間飛行場の移設先を辺野古ではなく「最低でも県外」と、それまでの日米合意を覆す発言をして、米国政府と日本の外務・防衛官僚から総スカンを食い、退陣に追い込まれた。“日米安保”に触れると致命的な傷を負うのだ。
沖縄県外に新基地の候補地を捜していた鳩山首相の意向をことごとくはねつけたのは、日米地位協定に関する事項を協議する「日米合同委員会」だった。鳩山氏は首相在任当時、この機関の存在を全く知らなかったという。
「日米合同委員会」は日本の幹部官僚たちと在日米軍との公式な協議機関だ。日本側代表は外務省北米局長で、その下に各省の官房長、局長、審議官、課長クラスがずらりと並ぶ。米側は、代表の在日米軍司令部副司令官以下、米大使館の公使や、陸、海、空軍、海兵隊の各司令部の幹部たちで構成されている。
各省庁のエリートたちが、在日米軍の幹部のもとにはせ参じ、安保条約を憲法より重視して合意形成をはかっているのである。この機関が日米地位協定の見直しに応じるとはとても思えない。
戦後77年を経たいまでも、日本はアメリカの支配下にあるといっても過言ではない。政府にいくら談判しても埒があかないのはそのためだ。
しかし、いつまでもこのままでいいのだろうか。“占領”を継続しているかのような駐留米軍のありようは、米軍基地の集中する沖縄などで不信のマグマを溜め続けている。日米関係が重要なのはいまさら言うまでもないが、それゆえにこそ、米国にきちんとモノを言える形をつくっておく必要があろう。いかに荷が重くとも、岸田首相はこの問題から目をそらすべきではない。
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image by: EQRoy / Shutterstock.com