プーチンから日本国民を守るのに「憲法改正」が本当に必要なのか?

 

人類が心底、戦争に懲りて、もう国際紛争を力づくで解決するのはやめようと誓い合ったのが「不戦条約」だ。

第1条 締約国は、国際紛争解決のために戦争に訴えることを非難し、かつ、その相互の関係において国家政策の手段として戦争を放棄することを、その各々の人民の名において厳粛に宣言する。

 

第2条 締約国は、相互間に発生する紛争又は衝突の処理又は解決を、その性質または原因の如何を問わず、平和的手段以外で求めないことを約束する。

戦争を放棄し、紛争は平和的手段で解決すると定めた内容だ。国際社会共通の了解事項となったこの精神は、国連憲章に受け継がれた。国連憲章第2条4項にこう書かれている。

すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも、慎まなければならない。

国際紛争を解決するために武力を使ったり、武力で脅したり、国連の目的である「世界の平和と安全の維持」に反したりする行為を、やめなければならないと言っているのだ。「refrain」という動詞を国連広報センターは「慎む」と訳しているが、「refrain」には「控える、断つ、やめる、我慢する」の意味がある。

あらためて日本国憲法9条を確認しておこう。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

「永久にこれを放棄」という強い表現はともかく、9条1項はまさに不戦条約や国連憲章に則った内容といえるだろう。

その目的を達するため保持しないという戦力は、不戦条約、国連憲章の系譜を継ぐ以上、自衛力のことではあるまい。正当な権利を防御するためにやむを得ない場合に限り、自衛のための武力行使は許されるはずなのだ。

ところが、自民党は「自衛隊の違憲論争に終止符を打つため」として、9条への自衛隊明記を主張している。

自衛隊違憲論争がそれほど活発だとは思わないが、たしかに共産党などは自衛隊を違憲としつつ、現実を見て「段階的解消」を唱えている。

だが先述した通り、他国から武力攻撃を受けた場合に備えて最小限度の自衛力を持つのはあたりまえであり、これまで現行憲法でなんら不都合はなかったはずである。いまさら自衛隊を憲法に明記することにどれほどの意味があるのだろうか。

言うまでもなく、参院選に向け自民党が提示している改憲4項目、すなわち自衛隊明記▽緊急事態条項▽参議院の合区解消▽教育環境の充実は、国民の理解を得られやすいところから手をつける「お試し改憲」の色合いが濃い。

違憲呼ばわりされて隊員の子供がかわいそうだから自衛隊を憲法に書き入れるとか、大災害が起きたら迅速に対応しなければならないので緊急事態条項が必要だとか、主として人の情や恐怖心に訴えて、賛同を得ようとする。自衛隊も、災害対策も、そのための法律が存在するにも関わらずである。

今後“お試し改憲”に何度か成功すれば、国民の慣れに乗じて、自民党は本来やりたかった改正に突き進むハラなのだ。

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