安倍元首相の死をきっかけに今一度考えたい「言論とは何か」ということ

Taipei,,Taiwan,-,July,12,,2022,:,The,Taipei,Office
 

凶弾に倒れた安倍晋三元首相。犯人の意図が「言論封殺」や「民主主義への反駁」などになかったとしても、一人の政治家の死は、その人と反対意見を交わすなどの言論活動を奪い、言論を核とする民主主義をも脅かすと考えるのは、朝日新聞の校閲センター長を長く務めた前田安正さんです。今回のメルマガ『前田安正の「マジ文アカデミー」』では、事件を機に「言論」について再考。「文書改ざん・破棄」や個人の自由な発言を組織が許さない空気も言論を否定する行為と批判して、ジョンソン首相を追求する声が身内から起こるイギリスに、成熟した言論や民主主義の姿を見たと綴っています。

この記事の著者・前田安正さんのメルマガ

初月¥0で読む

 

自らの考えを伝えるということについて

参院議員選挙期間中に、安倍晋三元首相が凶弾に倒れる、という衝撃的な事件が起きました。何とも痛ましく、いまだに気持ちの整理がつきません。

事件直後、「暴力による言論封殺は許されない」とか「民主主義への挑戦だ」といったコメントを多く見聞きしました。しかし警察から「政治信条への恨みではない」という容疑者の供述が発表され、それがまた混乱の度合いを深くしたのでした。

この事件の根幹にあるものが、「言論封殺」や「民主主義への反駁」ではなかったとしても、言論、民主主義の担い手の一人が命を絶たれたという事実は、重く受け止めなくてはならないと思います。今回は「言論」ということについて、考えてみようと思います。

ことばによって自らの考え・思想を伝える

「言論」ということばの解釈は、恐らくたくさんあるのだろうと思います。しかし平たく言うと「ことばによって自らの考えや思想を伝えること」です。これは10人いれば10人の考えや思想があるということでもあります。

ある人の意見に対して反対の意見を表明する。この単純なやり取りが言論活動であるとすれば、意見を表明した人がいなくなると、やり取りが成立しなくなってしまう。意見を届ける相手があって成り立つ言論の場が失われてしまう、ということになります。

さまざまな意見が、言論を支えているとも言えます。会社や組織のなかでも、さまざまな意見があるはずです。それを一方的に押さえ込めば、パワーハラスメントにもなります。

今回の事件は、容疑者に安倍元首相の言論を封じ込める意図がなかったとしても、結果的に彼の言論を奪ってしまったことは事実です。これは、安倍元首相の政策や言動に諸手を挙げて賛成する立場にない人の言論をも奪ってしまった、ということになります。いまの状況では、安倍元首相に対してものが言えなくなってしまいました。彼に聞きたいこと、質したいことも、もう叶わなくなってしまったからです。

この記事の著者・前田安正さんのメルマガ

初月¥0で読む

 

print
いま読まれてます

  • 安倍元首相の死をきっかけに今一度考えたい「言論とは何か」ということ
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け