生産性を上げるための効率を重んじるがあまり、それ以外の時間を排除してしまう……。実は、それが逆に効率を悪くさせることになりかねないと、メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』の著者・佐藤しょ~おんさんは語ります。「ムダな時間」と思われやすいけれど「本当は必要な時間」とは、いったいどのようなものなのでしょうか?
ムダなことは本当に不要なのか?
効率を重んじるということは、アウトプット、つまり生産されるモノにフォーカスをするということです。そこで、生産に結びつかない作業や時間は、無くても良いモノであり、むしろ無くなった方が良いモノになるわけですね。
つまり投下する時間の全ては、何らかの形で生産に結びついている必要がある、そのように行動をデザインするということです。その行き着く先は、かつてチャップリンが主演した映画、『モダンタイムス』になるわけです。
私もサラリーマン時代は、完全にこちら側の人間でして、何も生産しない時間をどうやって排除していくか、単位時間あたりの生産高をどうやって高めていくかを、ひたすら考えていました。
ところが田舎暮らしをして、野良仕事をするようになると、結果としてムダになった時間になんとも言えない味わいがあることが分かって来ました。
生産にフォーカスしているということは、その時間は、
■ 生産のことしか考えていない
んです。
それがフォーカスするということですから。
ところが稲刈りや脱穀をしながら、途中でポカンとムダに過ごしている時間に、滋味を感じるというか、そういう頭(意識やイメージ)と身体が、何も目指していない、目標も目的も持たない、日本語だと伝わりにくいんですが、英語だと
● Focusing on nothing
な状態の時に、入力感覚が鋭敏になって、ビビッと何かを感じたり、何らかの考えが突然まとまったり、今まで答えが出なかった問題に対する適切な解が見えたりするんです。この感覚と非常に似ているのが、「馬上、枕上、厠上(しじょう)」ですね。
これは古来からアイデアが出るタイミングというのは、馬に跨がってボケッと進んでいる時、枕に頭を載せてウトウトしている時、トイレに入っている時だということを、中国の欧陽脩という人が三上という表現を使って言ったんですよ。