高品質、高付加価値がアダに。「日本製」が通用しなくなった皮肉

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ガラパゴス化と言われるほど日本人好みにカスタマイズされた日本製の電化製品。日本の電機産業が国際的な競争力を失ってしまったのも「複雑化」のせいなのかもしれません。メルマガ『東南アジアここだけのお話【まぐまぐ版】』著者で文筆家の、のもときょうこさんは、2000年代半ばに簡単になるはずのものを複雑にして「iPod」に完敗した「ウォークマン」の例をあげます。さらに、日米のTDKで勤務した桂幹さんが著書で伝えた、日本が「モノづくり」と称して差別化へと向かった意外な理由を紹介しています。

「画期的な簡易化」のはずが、なぜかどんどん複雑化してしまう日本のお家事情

日本に帰ってくると、1つの商品を選ぶのにも、似たような競合製品が多く、どれを買っていいかわからない──ということが起きます。以前からなんでなんだろう?と不思議だったのです。

日本の電機産業で「似たような製品が溢れる理由」

日本と米国のTDKで勤務した桂幹さんの「日本の電機産業はなぜ凋落したのか」(集英社新書)がこのカラクリをうまく教えてくれました。
『日本の電機産業はなぜ凋落したのか 体験的考察から見えた五つの大罪』(集英社新書)

桂さんは、1990年代から始まったデジタルとはとどのつまり、「画期的な簡易化」だったといいます。デジタルが進むと「どの会社も同じ商品を作れるようになる」のです。部品点数が減り、材料による差が減っていきました。記録メディアも磁気テープの時代にはグレードが存在したのに、CD-Rでは性能による差別化ができなくなります。

ところが、桂さんによると、日本の場合、参入メーカーが多すぎて、「差別化」をする必要があった。そのため、物を売る人たちは困ってしまったのです。そこで起きたのが、「多機能化」「高機能化」です。理由には「雇用を守るため」がありました。

90年代の終わりから、企業やマスメディアで「モノづくり」という言葉が流行り始める。「製造」がいつしか「モノづくり」に昇華したのだ。

 

デジタル化が広がる中、製造業には迷いがあったのだろう。アメリカ企業のように自前主義を捨て、水平分業を目指せば、製造現場で働く社員の大量解雇が避けられない。

技術大国ニッポンとしてのプライドをひきづりながらたどり着いた先は、高品質、高性能、それに高付加価値こそが日本の製造業の強みだ、とする結論だった。

これ、1990年代から2000年代までを取材していた実感としても、本当にそうなんです。

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