空気を読むことと、空気に流されることは違う
その方針おかしいよな、と思ってもみんなが意見しないからわたし
・・・なんていうことは、日常的に起こりますよね。
つまり空気を読むことで、意見を言わない・判断しない、という風
それは、他人を不快にしない・攻撃しない、その場、その場で自分
しかも、やたらめったに攻撃的な人だったり、人を陥れて嘲るよう
こんな人には肝心な仕事は任せられませんし、信用度も下がります
これだと単純に「空気が”読めない”」奴になってしまうのがオチ
空気を読むことと、空気に流されることは違う、ということを理解
結論は、「空気を読む」ことは必要であり、不要である、というこ
そして、「空気を読む力のコントロール法」を身につける、という
この「空気を読む力のコントロール法」を身につけていくためには
まず、例えとして、「足の速い」人は遅くも走れます。しかし、「
テレパシック感性が強い人は弱くもできますが、元々テレパシック
テレパシック感性とは、テレパシー、精神感応力を意識した感受性
日本語で言えば、「以心伝心」のような感じですね。辞書にはこの
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「以心伝心とは、心の内で思っていることが、声に出さなくても互
つまり、うわべだけの行動や言葉で表すのではなく、何も口に出さ
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