あえて「空気を読まない」という選択がこれからの時代は必要である理由

 

空気読むことと、空気に流されることは違う

その方針おかしいよな、と思ってもみんなが意見しないからわたしも、しないでおこう。この上司の指示は今の流れに合ってないぞ、と思っても揉めるのが面倒だから言わないでおこう。

・・・なんていうことは、日常的に起こりますよね。

つまり空気読むことで、意見言わない・判断しない、という風作ってしまうことがあります。

それは、他人不快にしない・攻撃しない、その場、その場で自分の主張コロコロ変えない、ということです。

しかも、やたらめったに攻撃的な人だったり、人陥れて嘲るような人だったり、毎回何か意見はするけどその意見に全く一貫性がない人・・・・面倒くさいですよね。

こんな人には肝心な仕事は任せられませんし、信用度も下がります

これだと単純に「空気が”読めない”」奴になってしまうのがオチです。

空気読むことと、空気に流されることは違う、ということ理解し、必要な場面で「空気読まない」という選択することにチャレンジしていくことが必要になってきました。

結論は、「空気読む」ことは必要であり、不要である、ということ。

そして、「空気読むのコントロール法」身につける、ということが何より大切な気がします。

この「空気読むのコントロール法」身につけていくためには何が必要でしょうか。

まず、例えとして、「足の速い」人は遅くも走れます。しかし、「足の遅い人」は早く走れません。この「空気読むのコントロール法」は、「テレパシック感性」そのものです。

テレパシック感性が強い人は弱くもできますが、元々テレパシック感性が弱い人は強くなりづらい傾向があると感じます。

テレパシック感性とは、テレパシー、精神感応意識した感受性とでもいうのでしょうか。言語やジェスチャー用いずに、心に思っていることが他の人の心に伝わったり、あるいは受信したりするです。

日本語で言えば、「以心伝心」のような感じですね。辞書にはこのように記載されています。

====

「以心伝心とは、心の内で思っていることが、声に出さなくても互いに理解しあえること。以心伝心は、「心以って心に伝える」と読み下す。

つまり、うわべだけの行動や言葉で表すのではなく、何も口に出さずとも相手の考えていることが理解でき、そして相手のために行動するという心がけが大切であるという意味表している。

===

この記事の著者・吉田正幸さんのメルマガ

初月無料で読む

print
いま読まれてます

  • あえて「空気を読まない」という選択がこれからの時代は必要である理由
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け