自民へ擦り寄る“愚者”立憲。党の立て直しのため学ぶべき「民権の歴史」とは?

th20230619
 

野党第一党でありながら、自民党から歯牙にもかけられないという有り様の立憲民主党。この惨状を脱するために、彼らはまず何から始めるべきなのでしょうか。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』ではジャーナリストの高野孟さんが、リベラルの中心であるべき立憲民主党が「中道」を標榜し、自民に擦り寄る姿勢を厳しく批判。さらに彼らが受け継ぐべき思想を提示しています。

※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2023年6月19日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

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本誌No.1207(23年5月22日号)で「保守vsリベラル」の図式に付いて論じた。冷戦が終わって「保守vs革新」の図式が壊れた後に、次は「保守vsリベラル」だと言われ出したものの、宇野重規が言うように保守とリベラルは必ずしも同次元での対抗概念ではなく、しかもどちらの言葉も余りに多義的で誤解もされやすく、なかなか胸にストンと落ちるような座標軸が描けない。

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そこでこれを一旦、「国権vs民権」と置き換える方が分かりやすいのではないか、というのが1995~96年当時の旧民主党結成過程での議論だった。ところがさらに考えてみると、民権がリベラルの言い換えなのではなくて、リベラルが民権の一時的な言い換えだったのではないか。つまり、明治以来の思想的・政治的な対抗軸としては「国権vs民権」が本源的であって、戦後冷戦期の「保守vs革新」というのは、その歴史的な一時期に全世界的な「米国盟主の西側自由陣営=資本主義」vs「ソ連盟主の東側共産陣営=社会主義」というイデオロギー対立が外から持ち込まれたことで「国権vs民権」が歪曲されてハレーションを起こしていただけなのかもしれないという仮説が成り立つ。

そうだとすると、冷戦が終わり「保守vs革新」が崩れたためによく分からない「保守vsリベラル」の図式が突如出てきたのではなく、本来の「国権vs民権」に拠り戻ったのである。ところが、そもそもそれが本来だとは思っていないので、「保守vsリベラル」という何やら全く新しい対抗的な観念が出現したかのように思い過ごしてしまったのではあるまいか。

しかし、本誌のその号でも述べたように「歴史の教科書では、薩長中心の維新が成功して藩閥政府が出来、たちまちのうちに『大日本帝国主義』に突き進んで破滅し、しかし戦後もまた大日本経済主義で成功して、という国権側からの勝利の歴史が描かれているが、実はこの裏側には、保守リベラル的な公武合体&開国論や民衆リベラル的な植木枝盛らの自由民権運動、中江兆民の民約論と小日本主義、美濃部達吉の天皇機関説、北一輝の社会主義、吉野作造の民本主義=社会民主主義、石橋湛山の小日本主義、鈴木義男の平和憲法草案など、民権主義の連綿たる歴史があった」のである。

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