世界中が大迷惑。ウクライナ戦争の原因まで作った“戦争屋”アメリカの害悪

 

原理的正当性は露中の側にあるウクライナ戦争

第3に、以上を踏まえた上で、しかしウクライナ事態において多極化論と一極化論とが交錯するのは事実である。

冷戦が終わったということは、東西両陣営のそれぞれにおいてソ連と米国が一極覇権主義を成していた時代が終わったことを意味していた。そのことを文明論的に理解していたゴルバチョフ大統領は、当然のこととして、東側でソ連が盟主とし君臨してきたワルシャワ条約機構を直ちに解体した。ところが相手側のブッシュ父大統領にはその文明論的な理解がなく、「冷戦という名の第3次世界大戦で米国は勝利し、これからは誰憚ることもない『唯一超大国』として自由気ままに振る舞うことができる」と錯覚し、NATOを解体しなかったばかりか、その目的を欧州の西方からの脅威に共同対処するよう再設定し(域外化)、加えて旧ソ連の勢力圏下にあった旧東欧やソ連邦傘下の国々を引き摺り込むようにして順次加盟させた(東方拡大)。

20世紀前半の2つの世界大戦の悲惨の後に、1945年10月に誕生した国連は、二度と再び国家間戦争を引き起こすまいという盟約の根底に多極主義を据えた。多極主義とは、一面において無極主義であり、全世界を対象とした場合は世界に存在するすべての国・地域が、ある広域体の場合はその地域に存在するすべての国・地域が完全に対等・平等であるような「全員参加主義」である。けれども何もかも1国1票の総会決議で決めるのは非効率という以上に不可能で、そのため安全保障理事会、経済社会理事会、国際司法裁判所などのほか問題ごとに数多くの専門的な機関が設けられた。そのそれぞれで主導性を発揮するのは必ずしも同じ国の同じ人ではなく、むしろそれぞれの選挙で定期的に交代する国・人であったため、まさに多極化された運営が実現した。

ところが、国連が出来たそもそもの経緯から、安全保障理事会の常任理事国は例外で、米ソ英仏中の旧連合国が排他的な特権を握り続けたため、国連の中に多極主義の要素とそれに反する一極主義の要素が混在することになった。加えて米ソの冷戦が始まり、安保常任理事会の内部で米ソが互いに拒否権を発動して決定を妨げるのが当たり前になり国連そのものを機能不全に追い込んで行った。

冷戦が終わったことで、本来ならば世界はそれまでの45年間の国連の体たらくを反省して、今度こそ本当に多極化世界を実現しようと決意するのでなければいけなかったが、それを妨げたのは米国だった。つまり、冷戦が終わって客観的にはすでに多極化社会への転換が始まっていた世界に、無理矢理に一極化のエゴを押し付けようとした。その行き着く先が2014年のウクライナ「マイダン革命」であり、それに続く「ウクライナ戦争」であったという意味で、まさにウクライナにおいて米国の誤った一極主義と、ロシアや中国も支持する多極主義がぶつかっていて、その原理的正当性は露中の側にあるということである。そのことと、国際常識論としてロシアの国境を超えた軍事攻撃がまごうことなき「侵略」であることとは論理的に関係がない。

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