ほとんどが消滅した厚生年金基金。「従業員のために設立」されたという“大ウソ”

senior woman hand press for calculating on calculator and writing on notebook about welfare and money monthly after retirement at the table in home office and managing expense economic inflation
 

2.厚生年金基金は従業員の将来のために設立されたというウソ

よく厚生年金基金があった理由として言われるのが、会社側が社員に手厚い年金を支払いたかったからと言われます。それは自分の利益のためなのに、人のためのように言うまさに御為倒しってやつです。

厚生年金基金がどうして設立(昭和41年10月)されたかというと、経営者側が厚生年金保険料だけでなく民間で独自にやる退職金の掛け金も支払うのが嫌だったから。

会社は半分の厚生年金保険料を負担してますよね。

更に会社では退職金もやってたりします。その退職金の掛け金も従業員のために運用に回さなければならない。

これは会社にとっては二重の負担であり、老齢厚生年金と同じ事してるじゃないか!!老後保障は退職金でいいだろ!って経営者団体(日経連)が怒ったわけです。

会社は退職金支払うんだから、老齢厚生年金と役割が被ってるから保険料の二重払いだと指摘してきました。

これはもう厚生年金が始まった戦前の時から文句言われてた事ですが、昭和29年に厚生年金を大改正して再建した時に日経連の不満が噴出しました。

国としては厚生年金を再建して、更に給付を高めるために厚生年金保険料率を上げようとしたんですが、そうなると会社の負担が退職金と厚生年金保険料で負担が重くなるじゃないか!と反発が強くて、この大改正時は厚生年金保険料率を引き上げる事が出来ませんでした。

戦後のハイパーインフレの為、昭和23年以降は厚生年金保険料率を9%から3%まで大幅に引き下げていました(戦後の労働者の負担能力への配慮と、積立金を増やしてもインフレで価値が下がるだけなので、まだ受給者が居ない老齢年金を凍結しつつ暫定的に保険料を引き下げていました)。

大改正時にこの暫定的に低すぎる保険料率を通常の10%くらいに戻そうとした時に反発されて、結局低すぎる3%のまま昭和40年まで続く事になります。

しかしながら、そんな低い保険料率じゃ将来の給付が貧相なものになってしまうので、昭和29年改正時に「保険料率は、保険給付に要する費用の予想額並びに予定運用収入と国庫負担の額に照らし、将来に渡って財政の均衡を保つ者でなければならず少なくとも5年毎に再計算されるべきものである」と法律の中に規定が置かれる事になりました。

すぐに正常な保険料率に引き上げますって言うと反発されて先に進まないので、仕方ないから法律で少なくとも5年毎には再計算しますって法律に明記したわけです。

5年毎に年金を見直すというような規定が置かれたのはこの昭和29年時であり、その規定が今の5年毎の財政検証(年金の健康診断)に繋がっています。

まあ、当時は5年後には何%上げるって明確な数字を言ったら日経連から文句言われるから、こんなふうに法律でちょっと言葉を濁す形を作ったわけですね。でもこれが今も続く、5年毎の年金の点検の考えに繋がる事にはなりました。

その後、昭和40年になると厚生年金は給付を大幅に上げる事になり、保険料率が3%から5.5%へと引き上がる事になりました。

そうすると、そんな大幅な負担できるか!って日経連がごねて、保険料を調整できるような仕組みを作らなければ改正は到底受け入れられないと姿勢を崩さなかったため昭和41年10月に厚生年金基金を設立する事に決まりました。

経済界はようやく念願の厚生年金保険料との調整ができる仕組みを勝ち取ったのです…が、後にこれが自分たちの首を絞める事になっていきます。

この記事の著者・hirokiさんのメルマガ

登録はこちら

 

print
いま読まれてます

  • ほとんどが消滅した厚生年金基金。「従業員のために設立」されたという“大ウソ”
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け