安倍政治を招いたクーデター「明治維新」が、日本にもたらした“不幸”

 

赤松建白書は最初の民主的憲法案

関はさらに言う。「小三郎の建白書は、普通選挙で選出された議会が国事をすべて決定するという統治機構論、さらに法の下の平等・個性の尊重などの人権条項をも含む内容であり、日本最初の民主的な憲法構想と言ってよい」と。そしてその構想を次のように要約している(同書p.45およびp.150などから再構成:島津家資料に基づく原文「数件御改正之儀奉申上候口上書」は、同書巻末資料p.194~に収録)。

  1. 天幕合体諸藩一和の下、天皇家と幕府とを合体した上で統一された政権を新たな「朝廷」すなわち行政府とする。
  2. それとは別に、新たに立法府としての上下の議政局を設置する。下局は全国民の中から普通選挙によって議員を選出し、上局は諸侯・公卿・旗本の中からやはり選挙によって選出する。
  3. 議政局は「国事は総て決議する」国権の最高機関であり、立法、予算の策定、条約の締結を行う。さらに大閣老(首相)以下6人の内閣閣僚(首相以外は財務、外務、軍務、治安・法務、徴税)および各省高官の任命権を持つ。
  4. 天皇と内閣からなる朝廷(行政府)は、議政局の決議に従って行政を執り行なう。天皇も議政局の決定に従わねばならず、拒否権はない。

これが1カ月後の薩摩と土佐の「薩土盟約」に与えた影響は、今日では明らかである。(1)の公武合体は幕府による一方的な大政奉還にすり替えられ、従って幕府は諸侯と同列に並ぶことになり、(2)の議会上下2院制はほぼそのままで、下院は「上は公卿から下は陪臣庶民に至るまで正義純粋の者を選挙し」、上院は「諸侯自らその職掌によって任に充つ」と、大名に都合のいいように修正されているとはいえ、全体として武力衝突を避け早々に民選による議会政治に移行しようという考え方が維持されている。

後に薩摩は内部で西郷隆盛や大久保利通らの薩長同盟による武力クーデター論に押されてこの盟約を反故にし、やむなく山内容堂が土佐単独で坂本龍馬の「船中八策」に基づいて大政奉還を徳川慶喜に説いて実現させたというのが通説だが、近年の研究では「船中八策」そのものが存在せず後世の者が坂本龍馬神話を膨らませるために成した「創作」だとする説が有力である。

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