日本と日本人のために偉大な足跡を残した「たった4ヶ月だけの総理大臣」

World War II era Japanese fighter plane
 

終戦といっても講和と降伏では天地の違いです。ソ連仲介は講和を望んでのことでしたが、希望通りにはいきそうもありませんでした。

追い打ちをかけるように連合国は日本の無条件降伏を求めるポツダム宣言を発します。鈴木は苦悩しました。これでは、陸軍は絶対納得しません。しかし、日本の願いを打ち砕くように広島に原爆が投下されました。当初陸軍は原爆とは認めませんでしたが、アメリカのトルーマン大統領が原爆だと声明を発し、被害状況からしても受け入れざるを得ません。

外相東郷茂徳から原爆投下を聞いた天皇は早期戦争終結を鈴木と木戸に命じました。

二度の聖断の末、日本は終戦を迎えました。

鈴木は子供の頃、「泣き貫」とあだ名をつけられた程の泣き虫でした。ポツダム宣言受諾の聖断が下された時、出席者の多くは泣きました。玉音放送を聞いた国民の多くも涙を流します。悔しさ、悲しみ、怒り、安堵が入り混じった落涙です。

しかし、泣き貫は泣きませんでした。まだやるべき仕事が残っていたからです。鈴木は全閣僚の辞表を取りまとめ、8月17日に参内、天皇に謁見しました。天皇から労いの言葉を受けます。天皇から終戦を期待されて発足した鈴木貫太郎内閣はここに役目を終えました。

役目を終え、鈴木は誰憚ることなく泣きました。

僅か4か月余りの短命な首相だった鈴木貫太郎は、皇紀2600年の歴史を誇る日本と日本人のために偉大な足跡を残しました。3年後、鈴木は亡くなります。臨終に際して、「とわの平和、とわの平和」と、うわ言のように繰り返したそうです。

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