11月7日に開かれた記者会見で、深々と頭を下げ「心からお詫びいたします」としたものの、「謝罪」は否定した旧統一教会の田中会長。なんとも矛盾に満ちた会見でしたが、識者はこれをどう見たのでしょうか。今回のメルマガ『詐欺・悪質商法ジャーナリスト・多田文明が見てきた、口外禁止の「騙し、騙されの世界」』では、かつて旧統一教会の信者だったジャーナリストの多田文明さんが、「謝罪とお詫びを使い分けているところは非常に教団らしい発想」として、自身の経験を交えつつそう判断する理由を解説。さらにこうした考え方は教団にとって自然なことで、信者は常に矛盾した気持ちの中で信仰を続けていると記しています。
「謝罪」ではなく「お詫び」。矛盾した気持ちのまま信仰を続ける旧統一教会信者たち
今月7日に、田中富広会長が1年以上ぶりに会見を行い、世間の注目を浴びました。
色々と詐欺などの別な内容も書こうと思っていましたが、今回の会見では、カルト思想とは何か。どう彼らと向き合っていくべきなのか。その点に絞って話をしていきます。
1.謝罪会見と思いきや、お詫び会見に、思わず仁王立ち
どんな会見をするのか、その様子を番組のテレビ番組の出演前に見ていました。
冒頭で「私たちの不足さゆえに心を痛めておられる皆様、そしてつらい思いをしてこられた2世の皆様、国民の皆様方に、改めて心からお詫びいたします」と頭を下げました。
これまでにない言葉でした。
これは、旧統一教会が行ってきた組織的な加害行為に対しての謝罪だと思い込み、これまでの敵対的姿勢を改めた行動に目頭が熱くなる思いがしました。
ですが…、実は、そうではなく、だまされていました。
その後の会見内容を聞くについて「ん?」「おかしい」の思いが強くなりました。
田中会長は「解散命令請求という文部科学省の措置に関しましては、信教の自由、法の支配の観点から到底受け入れることはできません」というのです。
「はい???」
組織的な教団の加害行為による被害は認めないので、法的に争うということになりますので、では、何のための謝罪だったのか!?
そこに、記者からの質問への答えがとどめを刺しました。
「お詫びは、被害者への謝罪という認識ですか」と聞かれて、田中会長は「はい、そうです」とは答えません。
「謝罪という言葉は、被害者が特定されて初めて謝罪という言葉が使われるのかと思います」と話し、謝罪ではなく「お詫び」の会見だと言い出します。
「じゃあ、冒頭のお詫びは(組織として加害行為を認めない)中身のないものだったのか!」とひっくり返りそうになり、怒りがわなわなと出てきて、「私に熱い思いにさせた時間を返せ」という思いで、仁王立ちしてしまいました。
2.同じ意味の二つの言葉を使い分けるところは、非常に教団らしい考え方
しかし時間が経って冷静になるなかで、謝罪とお詫びを使い分けているところは非常に教団らしい発想だと思いました。
謝罪とお詫びは同じ意味だと思います。
何が違うのか、正直、よくわかりませんが、もしかすると、教団としては、組織的な不法行為についての被害を認めていないので、その「罪」については謝らずということなのかもしれません。でも、お詫びはする。
今回「つらい思いをしてこられた2世の皆様、国民の皆様」と会長はいいましたが、なぜ「つらい」思いをしてきたのかといえば、それは組織的に常識を逸脱した献金行為などをさせてきたためであるはずです。
謝るけれども、自分たちは組織的に何も不法行為(悪いこと)をしていないというのです。なんとも、矛盾した言動をするものだと思った人も多いことと思います。
しかしこの発想こそが、教団にとっての自然なことなのです。
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