日本初のダブルミリオン『恋の季節』が大ヒット。元「ピンキーとキラーズ」今陽子さんが明かす、1日25本もテレビ出演した16歳の頃

16_FC1_ピンキラeye
 

70~80年代にはアイドル歌謡やニューミュージック、90年代には小室サウンドやハロプロ、2000年代にはAKBや坂道グループなど、オリコンチャートを賑わせてきた大ヒット曲が数多く誕生しました。では、日本初のダブルミリオン(200万枚)を達成したシングル曲は誰の何という曲かご存じでしょうか? それは、今陽子さんがボーカルをつとめたバンド「ピンキーとキラーズ」が1968年に発表した『恋の季節』です。今も日本歌謡界を代表するスタンダードナンバーはどのようにして誕生したのか。その秘密を探るべく、ピンキラの元ボーカルで昨年3月22日に発売された『ピンキーとキラーズ大全【初回限定版】』を自らプロデュースした歌手・女優の今陽子さんに、フリー・エディター&ライターでジャーナリストの長浜淳之介さんが単独インタビュー。国民的大ヒットの裏にあった、驚愕の多忙さや葛藤など、今陽子さんの知られざる素顔に迫ります。

プロフィール:長浜淳之介(ながはま・じゅんのすけ)
兵庫県出身。同志社大学法学部卒業。業界紙記者、ビジネス雑誌編集者を経て、角川春樹事務所編集者より1997年にフリーとなる。ビジネス、IT、飲食、流通、歴史、街歩き、サブカルなど多彩な方面で、執筆、編集を行っている。共著に『図解ICタグビジネスのすべて』(日本能率協会マネジメントセンター)、『バカ売れ法則大全』(SBクリエイティブ、行列研究所名儀)など。

GS全盛期に彗星の如くあらわれたピンキーとキラーズ『恋の季節』

グループ・サウンズ(GS)全盛時代の後期、1968年に、楽器を演奏するダンディーな男性4人をバックに、宝塚歌劇団の男役のような凛としたいでたちの長身の少女がボーカルを取るバンド、「ピンキーとキラーズ」が彗星のように出現した。

全員ダービーハットを被り、ピンキーこと、今陽子さんのパンタロンスタイル、スーツをびしっと着こなすキラーズ。今、改めて当時のレコードジャケットの写真を見ても、とてもお洒落だ。

BS-865 (1)

ピンキーとキラーズのデビュー曲、『恋の季節』(岩谷時子 作詞、いずみたく 作・編曲)は瞬く間にヒットチャートを駆け上がり、当時、日本の歌謡界で権威とされた、オリコンチャートの1位を独走。なんと、17週にわたって1位という大記録を打ち立てた。今は時代が変わり、レコード、CDの売上だけではなく、配信や動画再生の回数なども総合してヒットの尺度が計られるようになったこともあるが、これは日本記録であり、今後も破られることはないだろうと言われる、とてつもない偉業だ。

オリコン集計で207.7万枚(公称270万枚)を販売し、日本初のダブルミリオンシングルとされる。また、この売上は日本のシングル曲歴代17位にランクされ、多くの歌手にカバーされて、J-POPのスタンダードとなっている。その頃には、もちろんJ-POPという言葉はなかったが、その礎を築いた曲の1つでもある。

同年のレコード大賞新人賞など歌謡界の各賞を受賞、NHK紅白歌合戦にも初出場した。

今陽子さんの伸びやかでハートフルな歌声と、キラーズの確かな演奏力と包み込むようにふくやかなコーラスが織りなすサウンドは、それまでの日本の歌謡界にはなかった類の「粋」を持ち込む斬新さだった。

ビートルズやローリング・ストーンズのような英米のロックバンドに影響された「GS」は当時、男性の若者のみで構成されたグループが圧倒的に多かった。後に大作曲家となる筒美京平、村井邦彦、すぎやまこういち、鈴木邦彦、川口真ら新進気鋭の作曲家たちも楽曲を提供しており、佳曲も多いが、世間的には、時に破壊的で「うさんくさく」見えていた。そして、なんとか動員を増やそうと、失神パフォーマンスを売りにするグループもあったほどだ。コンサートを見に来た若い女性たちが、続々と救急車で運ばれていくため、社会問題にもなっていた。

コアなファン層がほとんど若い女性に偏ったところに、たくさんのグループがどっとデビューして、GSの過当競争となり、潰し合い、終息していった。後発は過激に走らなければ、注目もされなかった。

ピンキーとキラーズは、そうしたGS界隈の自滅的な喧騒とは一線を画し、ボサ・ノヴァの雰囲気を醸す癒し系のサウンドで、幼児から老人までの幅広いファン層を魅了した。翌69年に発売した「涙の季節」は、よりジャジーでボサノヴァ色が鮮明になった楽曲。こちらもオリコン1位になっている。

BS-930 (1)

『恋の季節』、『涙の季節』、『七色のしあわせ』、『星空のロマンス』など、ピンキーとキラーズの一連のヒット曲には、現在世界的に注目されている、都会的で洗練された1970年代後半~80年代の日本のシティ・ポップの源流を見ることができる。まさに、令和になっても3世代で楽しめて、新しさを発見できるのが、ピンキーとキラーズの魅力なのである。

BS-1045

さて、『ピンキーとキラーズ大全【初回限定版】』が3月22日に、デビュー55周年を記念して、キングレコードより発売された。4枚組のCDと1枚のDVDからなり、シングルヒットはもちろん、B面の知られざる名曲、出演したCMソング、映画の主題歌、洋楽のカバー曲、民謡と、さまざまなジャンルの曲を縦横無尽に歌いこなす、ピンキーとキラーズの実力のほどが堪能できる、集大成の決定版となっている。今日、日本を代表するミュージカルスター、シンガーへと羽ばたいた、ボーカリスト・今陽子さんの原点もここに詰まっている。

大全を自らプロデュースした今陽子さんに、聴きどころや、ピンキーとキラーズ活動時のエピソード、解散後のソロ活動などを聞いた。(取材協力:ホリプロ)

『ピンキーとキラーズ大全』今陽子さんインタビュー

──『ピンキーとキラーズ大全』の発売、おめでとうございます。そもそもこの企画はどういうきっかけで始まり、実現に至ったのでしょうか。

今陽子(以下、今):昨年4月に、作曲家のいずみたく先生(1930~92)の没後30周年を記念して、代表曲を集めた6枚組の作品集『いずみたく ソングブック』がビクター・エンターテイメントから発売されて、これが好評で売れたのです。ソングブックには、ピンキーとキラーズの曲もたくさん入っていたので、キングレコードが、ピンキーとキラーズの全集を出してみたいという話になりました。私はキングから移籍して、ワーナー・ミュージック・ジャパンに所属しているのですが、今回特別にプロデュースをさせていただきました。

KIZC-90706_RGB_1_フル画像

これまでも、ピンキーとキラーズのヒット曲集や全曲集は何度か出ていましたが、私の知らないうちに発売されていて、「あっ、出ていたんだ」と後から知る感じでした。今回は、私自身が曲の解説まで書かせていただきました。

──なるほど、これぞ決定版ですね。『恋の季節』をはじめ、ピンキーとキラーズの楽曲は、いずみたく先生の代表作でもあります。『いずみたく ソングブック』と合わせて聴くと、より理解が深まるというわけですね。

:いずみたく先生はメロディー・メーカーでした。『恋の季節』『涙の季節』もそうですが、坂本九さんの『見上げてごらん夜の星を』にしても、佐良直美さんの『世界は二人のために』にしても、中村雅俊さんの『ふれあい』にしても、シンプルで優しいメロディーという特長があります。でも、『恋の季節』は歌い易い曲ではありません。あの格好をして宴会で歌うにはいいのですが、『NHKのど自慢』でも『恋の季節』はあまり歌われないんです。テンポがゆっくりしていて、8ビートのシンプルな曲だからこそ、プロとしてちゃんと歌うのが難しい。私はジャズから入っているので、もっと洋楽っぽい『涙の季節』のほうが、ずっと歌い易かった。

──当時高校生だった今さんが、すごく大人っぽい曲の『涙の季節』が好きだったとは意外です。『恋の季節』は美空ひばりさんの前年のGSっぽいヒット曲『真っ赤な太陽』を意識して制作されたと、聞いたことがあります。それにしても、ピンキーとキラーズはファッションにも影響を与えて、パンタロンやダービーハットの流行をつくり出しました。

:衣装がアニメチックなのも受けた理由かもしれません。0歳児から90歳のおじいちゃん、おばあちゃんまでファンがいると言われてましたね。実際、芸能界の後輩たちのビッグスターの何人かには、お会いした時に「ファンでした」と言ってもらいました。アルフィーの高見沢俊彦さん、米米クラブの石井竜也さん、チェッカーズの藤井フミヤさん、爆笑問題の太田光さん…。

私、0歳児のファンなんて、さすがに嘘だろうと思っていたのです。でも、太田光さんがご両親から聞いた話によると、ピンキーとキラーズがテレビに出てきたら、赤ちゃんだった頃の彼がハイハイしていってテレビに抱きついていたそうです。そこまで愛されていたなんて、本当に光栄です。

ピンキーとキラーズにはモデルがあって、アメリカでは「スパンキー&アワ・ギャング」という、女の子のボーカルが1人とコーラスの男の子たちがいるバンドが人気になっていました。いずみたく先生が「こういうグループは日本にいないから」ってつくってくださいました。 

──なるほど。いずみたくさんは、由紀さおりさんの『夜明けのスキャット』で、1番の歌詞がなくて「ルルル」だけの曲を大ヒットさせて、世間の度肝を抜きました。たいへんなアイデアマンでもあったのですね。作詞の岩谷時子さんは、宝塚歌劇団の男役のスターだった越路吹雪さんのマネージャーも務めていらっしゃいました。『恋の季節』の大ヒットは、曲と歌詞とステージ衣装がぴったり、ピンキーとキラーズに合ったからでもあると思います。

:宝塚の男役にはすごく憧れていて、音楽学校の試験を受けようと思った時期もあったほどです。スカウトされて、愛知県から上京して、いずみたく先生の愛弟子第一号になりました。先生のご両親のお宅に下宿して、レッスンに明け暮れていました。

ただ、当時は大柄な女性は歌手としては成功しないとよく言われていました。瀬川瑛子さんの『長崎の夜はむらさき』がヒットしたのは1970年ですし、和田アキ子さんは年上ですが芸能界の後輩です。

背の高い山本リンダさんがミニスカートで舌っ足らずに歌う『困っちゃうナ』が66年に大ヒットして、私も同じようなかわい子ちゃん路線の曲でデビューしたのですが、全く売れなかったです。『恋の季節』の前年に、今陽子のソロ曲『甘ったれたいの』があったのです。

同じいずみたく門下の佐良直美さんは『世界は二人のために』でレコード大賞新人賞でNHK紅白歌合戦出場。挫折を味わいました。 

──これはちょっとダメだと。いずみたくさんとしては、なんとか今さんを売り出したいと懸命に知恵を絞り、再デビューに備えた。

:当時は、黒沢明とロス・プリモスとか、鶴岡雅義と東京ロマンチカのようなムード歌謡が流行ってきていて、GSブームとの端境期にありました。私たちはあくまでポップスをやっているので、GSはポップスですが、申し訳ないけど演歌チックなムード歌謡とは違うと思っています。

キラーズは私の後ろで、1つのマイクを囲んでコーラスをしているイメージが強いですが、初期はドラムやギターを演奏しながら、コーラスをするスタイルでした。そのうち、あまりにも忙しくなって、楽器を持ち運びしてセットする時間がなくなってきて、ビッグバンドが演奏し、コーラスだけになったのです。今回の大全では、『恋の季節』を演奏しながら歌うキラーズの貴重なコンサート映像も、DVDに収録しているのですが、「キラーズって楽器を演奏してたの⁈」って、よく驚かれます。初期からのファンにすれば、キラーズはもうパンチョ加賀美さんとエンディ山口さんが亡くなっているので、もう二度と見られない映像、涙ものだと言われます。

ピンキーとキラーズが売れてからは、女の子がメインのボーカルで、男性たちがコーラスのグループが幾つも結成されました。『帰り道は遠かった』のチコとビーグルス、『ハチのムサシは死んだのさ』の平田隆夫とセルスターズもそうです。海外ではイギリスでも、ピンキーとフェラスの『マンチェスターとリバプール』がヒットしました。

──海外にまで影響を与えるとは、ピンキーとキラーズ恐るべしです。DVDでは、今陽子さん初のプロモーションビデオということで、『恋の季節』が新たに収録されているのですが、最初にアカペラで歌われるのが印象的です。年を取ると、声が細くなったり、高い声が出なくなったりするものなのですが、声に張りがありますね。

:実は音源として新しいのは、アカペラの部分だけです。あとは、昔の音源をそのまま使わせてもらいました。映像はいまの私が、映っているのですけどね。いろんな人に感想を聞くと「全然、違和感がないよ」って。キラーズのパートを受け持ってもらったベイビーブーは、かわいい弟分で歌がすごく上手いのですが、ごめんなさいってお願いして、口パクをしてもらいました。快く引き受けてくれました。

私は今年で芸能生活56年、71歳になるのですけど、ここのところ私と同じ時代に活躍した仲間が次々と亡くなっています。本当に寂しいです。仲間たちからは「ピンキーは、いつまでも元気で飛び跳ねていてほしい。励みになる」と、言ってもらっています。

──『恋の季節』が大ヒットして、突然ものすごく忙しくなったでしょう。当時を振り返って、どんな毎日でしたか。

:ピンキーとキラーズって皆様、長く活動しているように思っていらっしゃいますが、結成して4年で、私が20歳の時に解散しています。16歳の高校生の私に対して、片やクラブやキャバレーでラテンやハワイアンの演奏をしていたバンドマンの集まりのキラーズ。合うわけないです。

活動中の4年間はめちゃくちゃに忙しかったですね。最初の3年は休みなし。年末は撮りだめで、1日25本もテレビ局をはしごしていました。映画の主役、ドラマの主役、CMの撮影、何もかもやっていて、寝る時間も、学校に行く時間もなかったです。

12月にはクリスマスのディナーショーが30本とか。子供にも人気があるから、お昼にも家族向けのファミリーショーをやって、夜に本当のディナーショーをやって、さらに夜中にも「コパカパーナ」、「ミカド」のようなナイトクラブ、キャバレーに出演するので、1日に6ステージ、7ステージがざらでした。

──えっ、猛烈過ぎて言葉もないです。十代でナイトクラブやキャバレーに出演してもいいのですか。

:それはいけなくて、事務所は始末書を書かされました。おかしいのは、子供がピンキーとキラーズを見たいというので、お父さんたちがお酒の席に子供を連れてくるのです。ジュースやコーラを注文してね。ホステスさんは嫌な顔をしていました。

十代なりにプロ根性で頑張っていましたが、辛かったですよ。本人は。熱が39℃あっても、2時間のコンサートをやりました。ステージが終わって、幕が降りた瞬間にぶっ倒れて救急車で運ばれましたけど。専門の主治医と看護師さんを付けていて、移動中の車の中で点滴をしたこともあります。病院に行く時間もなかったからです。今だったら労働関連の法律に引っ掛かると思います。そんな殺人的スケジュールでした。

──大全には「コカ・コーラ」、「ウナコーワ」、「パナソニックテレビ」のような懐かしいCMソングが数多く収録されていて、若い頃を思い出す人も多いでしょうね。ピンキーとキラーズの人気のほどを改めて認識します。いずみたく先生がこんなにも、ピンキーとキラーズ出演のCMソングを作曲していたのには驚きました。

:コカ・コーラは世界のコカ・コーラですから、オーディションも厳しいです。世界の大スター、日本でもドリームズ・カム・トゥルーとか矢沢永吉さんとか、スーパースターしか出演できません。十代で出させていただいて、とても光栄です。

パナソニックは、パンチョさんの「パナ、パナ」で覚えている人も多いんじゃないかな。興和は私の地元、名古屋の会社で、『かぜの季節』は風邪薬「コルゲンコーワ」の宣伝のための曲で、『恋の季節』を彷彿させるイントロです。「コルゲンコーワ」はこの曲で人気が出ました。「ウナコーワ」は、虫刺されの薬ですね。

──「ウナコーワ」の宣伝は、美空ひばりさんの蚊取り線香の宣伝「金蝶の夏、日本の夏」と同じくらいインパクトがありました。私は今もかゆみ止めの常備薬です(笑)。このようにピンキーとキラーズとして大活躍されたのですが、72年に解散。ソロに戻られるわけですが、喪失感はなかったのですか。

:今陽子ショー、私のリサイタルでステージに出て行くじゃないですか。1曲目始まる前から、「恋の季節!!」って客席からヤジが飛ぶのですよ。私が出演しているミュージカルでも、カーテンコールで私が呼ばれると「恋の季節を歌って!!」って。

びっくりしました。ミュージカル女優として出ていて、役を演じているのですよ。もう私、嫌になっちゃって、何年か『恋の季節』を全く歌わなかった時期がありました。それか、原曲とわからないくらいに崩して歌っていましたね。

尾崎紀世彦さんも『また逢う日まで』をかなり崩して歌っていらっしゃいました。私、その気持ちがすごくわかるのです。私の代名詞となる曲があるのは宝で、ありがたいのですが…。

──萩原健一さんもザ・テンプターズの時のヒット曲、『神様お願い』や『エメラルドの伝説』を原曲とわからないほど、崩して歌っていらっしゃいました。イメージが固定されるのは、厳しいのでしょうね。

:ショーケン(萩原健一さん)もジュリー(沢田研二さん)も、歌だけでなくて役者もやるじゃないですか。同じ時代を駆け抜けた仲間だから、ものすごくよくわかります。私も、ミュージカル女優をずっとやってきて、久々に歌を歌うとなると、昔のヒット曲を素直に歌えなくなるというか。20代の若いミュージシャンに演奏してもらうと、リズム感も違ってきます。

でも、私も大人になりました。もし、ライブの1曲目から「恋の季節!!」とヤジが飛んでも、「もうちょっと待って、あとで歌うからね」と余裕で、笑顔で返せるようになりました。ようやく、ここ数年のことです。50年掛かりました。

ましてや今回、大全を出すのですから、テレビ局から「オリジナルにできるだけ近い形で歌ってください」と言われて、バックのキラーズ役を演歌歌手とか、いろんなが人たちがステップを覚えてやってくれているじゃないですか。それをピンキーが崩したら、元も子もないですよね。

──なるほど。DVDのアカペラに至るまでは、今さんの『恋の季節』に対する長年の心の葛藤があったのですね。ミュージカルには、どういう経緯で入って行かれたのですか

:ピンキーとキラーズの時からミュージカルに出演させていただいていて、劇団四季の浅利慶太さん、藤田敏夫さんには、スパルタでしごかれました。

浅利慶太さんには「劇団四季に入らないか」ってずいぶんと熱心に勧誘されました。ソロになってからも高いワインを開けてね。私、『マンマ・ミーア!』も『キャッツ』も大好きですが、半年間くらい同じ役をずっと演じないといけないじゃないですか。他のお仕事は禁止ですし、飽きちゃうと思って、「私はシンガーで行きたいから」とずっとお断りしていました。

──90年代後半から2000年代の始めには、日本テレビ系列の出演者がベスト10に入った曲を、カラオケで歌う『THE夜もヒッパレ』という音楽番組があって、よくお見掛けしました。

:準レギュラーで出ていた『THE夜もヒッパレ』は、本人が歌うのでなくて、あくまで別の歌手やバラエティに出ているタレントが歌う音楽バラエティ番組で、視聴率も良かったです。

小室哲哉さんが作られた曲をずいぶん歌いました。小室さんの曲は音域が広くて、難しいのですよ。あの番組のおかげで、相川七瀬さん、尾崎亜美さん、ラルク・アン・シエル、B’z、GLAYとか、90年代の日本のビッグなポップスを勉強させていただきました。 冬のゲレンデの女王、広瀬香美さんの音域の広さときたら…。私、普段のキイが低いのに勘弁してよと思いながら、超高いキイまで必死で歌いました。

結局、難しい曲を歌いこなせる歌手は限られてきて、女性の出演者は私とか、渡辺真知子さん、庄野真代さん、麻倉未稀さんあたりに決まっていきました。男性は、尾崎紀世彦さん、桑名正博さん、尾藤イサオさん。我々、ベテラン歌手にとっても、90年代のポップスは歌うのがとても難しかったと思います。

──さまざまな歌手としての経験を積まれた今さんですが、『ピンキーとキラーズ大全』を切っ掛けに、ピンキーとキラーズの打ち立てた偉業、楽曲の良さが改めて注目され、再ブームとなればいいですね。

:大全には、実は今回、これまでのどのレコード、CDにも収録されていなくて、初めて収録された曲もあるのですよ。スタッフが頑張って発掘しました。私にとっても、本当にお宝なのです。(聞き手・長浜淳之介)

協力:濱田髙志
   キングレコード
   ホリプロ

KIZC-90706_RGB_1_フル画像

ピンキーとキラーズ大全

ピンキーとキラーズデビュー55周年記念特別企画。名曲から初音源化激レア音源まで!ピンキーとキラーズの全てがここに!

ピンキーとキラーズが残した膨大な楽曲のなかから、ヒット曲はもとより、アルバム未収録曲や主題歌、CMソング、企業歌を収録。

CDに加え、秘蔵映像や新録のMVを収録した豪華DVDで構成され、そのキャリアを俯瞰できる資料を満載したブックレットを同梱。

ブックレットには、今陽子の楽曲解説、ディスコグラフィ、そしてオールスタッフ所蔵の秘蔵写真を多数掲載。

またジャケットには、ピンキーとキラーズのポスターや公演パンフなどに数多くのイラストレーションを描いた稀代のイラストレーター和田誠氏のイラストを使用。

ピンキーこと今陽子が初めて公認し、監修にも参加した正にキングオブベスト、即完必至の永久保存版。

・豪華ボックス仕様 CD5枚組+ブックレット124頁(カラー16頁)+外箱
・ジャケットイラストレーション:和田誠
・封入特典:和田誠デザインジャケットステッカー

発売:キングレコード
定価:15,000円(税込)
販売サイト、詳細はコチラ

image by: KING RECORD

長浜淳之介

プロフィール:長浜淳之介(ながはま・じゅんのすけ)

この著者の記事一覧はこちら

兵庫県出身。同志社大学法学部卒業。業界紙記者、ビジネス雑誌編集者を経て、角川春樹事務所編集者より1997年にフリーとなる。ビジネス、IT、飲食、流通、歴史、街歩き、サブカルなど多彩な方面で、執筆、編集を行っている。共著に『図解ICタグビジネスのすべて』(日本能率協会マネジメントセンター)など。

print
いま読まれてます

  • 日本初のダブルミリオン『恋の季節』が大ヒット。元「ピンキーとキラーズ」今陽子さんが明かす、1日25本もテレビ出演した16歳の頃
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け