靴磨きの少年が「貰ったパン」をすぐには食べようとしなかった理由

Soft,Focus.,A,Young,Asian,Brother,Help,His,Little,Sister
 

私たち日本人の心に沁みついている日本精神。それを私たちにも再度思い出させてくれるお話を紹介してくれたのは、ハワイ州知事を務めたジョージ・アリヨシさんでした。今回のメルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、その感動的なエピソードを紹介しています。

日本精神を教えてくれた靴磨きの少年

アメリカ合衆国ハワイ州知事を務めた、日系アメリカ人のジョージ・アリヨシさん。ジョージさんには、戦後の日本で見た、忘れられない光景があるといいます。それは感動的な、日本の少年のある姿でした。

─────────────────

(ジョージ・アリヨシ)

私が最初に日本の地を踏んだのは1945年、第二次世界大戦が終わって間もなくのことでした。アメリカ陸軍に入隊したばかりの頃で、焼け残った東京丸の内の旧郵船ビルを兵舎にしてGHQ(連合国軍総司令部)の通訳としての活動を行ったのです。

私は日系アメリカ人です。両親はともに九州の人で、福岡出身の父は力士を辞めた後に貨物船船員となり、たまたま寄港したハワイが好きになってそのまま定住した、という異色の経歴の持ち主。

ここで熊本出身の母と出会って結婚し私が誕生しました。私は高校を出て陸軍情報部日本語学校に学んでいたことが縁で、通訳として日本に派遣されることになりました。

東京で最初に出会った日本人は、靴を磨いてくれた7歳の少年でした。

私は思わず「君は子供なのに、どうしてそういうことをやっているの」と質問しました。

少し言葉を交わすうちに、彼が戦争で両親を亡くし、僅かな生活の糧を得るためにこの仕事をしていることを知りました。

その頃の日本は厳しい食糧難に喘いでいました。それに大凶作が重なり1,000万人の日本人が餓死すると見られていました。少年はピンと姿勢を伸ばし、はきはきした口調で質問に答えてくれましたが、空腹であるとすぐに分かりました。

兵舎に戻った私は昼食のパンにジャムとバターを塗ってナプキンで包み、他の隊員に分からないようポケットに入れて少年のもとに走り、そっと手渡しました。少年は

「ありがとうございます。ありがとうございます」

と何度も頭を下げた後、それを手元にあった箱に入れました。

print
いま読まれてます

  • 靴磨きの少年が「貰ったパン」をすぐには食べようとしなかった理由
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け