400万人殺害説も。今振り返るキッシンジャー元米国務長官「100歳の生涯」の裏

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11月29日に100歳の生涯を閉じたキッシンジャー元アメリカ国務長官。したたかな現実主義者として知られ毀誉褒貶の激しい人物でもありますが、彼はアメリカや世界に何を残し逝ったのでしょうか。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』ではジャーナリストの高野さんが、キッシンジャー氏が国際社会で行ってきたさまざまな「仕事」を改めて紹介。ノーベル平和賞も受けた彼の功罪を徹底検証しています。

※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2023年12月4日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

ノーベル平和賞も受賞。キッシンジャー元米国務長官がアメリカと世界に残したもの

誰にせよ或る人の業績を語るのに「功罪相半ば」というほど凡庸な形容はないけれども、去る11月29日に100歳と6カ月で大往生を遂げたヘンリー・キッシンジャー米元安保担当補佐官&国務長官についての内外の論評は、まさに「賛否両論」と言うに尽きる。

端的な一例は、ベトナム戦争の拡大と終結における彼の役割である。1973年には同戦争のパリ休戦協定を成就させたことを理由に、交渉相手のベトナム共産党のレ・ドク・ト政治局員と共にノーベル平和賞を共同受賞した。それは「功」であるには違いないが、その決定に至るまでには、ノーベル平和賞審査委員会の中で激しい議論が巻き起こり、キッシンジャーへの授賞に反対した2人の委員が抗議の辞任をするに至った。しかもベトナム側のレ政治局員が「戦争はまだ終わっていない」ことを理由に受賞を辞退するなど、キッシンジャーにとっては傷だらけの勲章となった。その面から見ればこれは彼の「罪」そのものである。

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