自民党パー券ウラ金問題にも通底する「モノを売ればよい」だけの“空疎な労働”

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いよいよ捜査が本格化した自民党の政治資金パーティーに関わる裏金疑惑。政治家の会計処理の「慣例」は“反社”と変わらないと指摘するのは、記者時代に政治資金パーティーにも何度か足を運んだことがある引地達也さんです。今回のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』で引地さんは、政治家の感覚は一般人とかけ離れているようで、実は共通する部分があるとも指摘。100円のボールペンを1万円で売るかのようなパーティー券販売には、「モノを売る文化」が「売れる人ほど評価される文化」になってしまった現代の価値観の影響があると考えています。

政治資金パーティー券を成り立たせる販売が評価される営業文化

記者をしていた頃、自分の労働とお金はまったく結びついていなかった。ただひたすらに情報を追い求めて、記事を書くこと、記事に書けることを目標として、それが社会的に崇高な使命だと信じ、昼夜を問わず、それがどれくらいの対価になるのかも考えず、働き続けた。

今思えば、経済観念からかけ離れた生活で、金銭には無頓着だった。そんな文化の中にいてから、後に企業文化を知るべくコンサルタントとして様々な企業と関わってから、仕事とは対価を常に意識することなのだと学んだ。

特に販売する職種の場合、モノを売ることは自らの存在意義をかけた戦いであり、真剣であった。これはモノを売るときの原動力になり、日本経済を支える重要なモチベーションでもある。

同時に、そのモノを売る文化はやがて「モノを売ればよい」だけの空疎な労働にもつながり、私はそこから自民党が大批判を受けている政治規正法違反の疑いのある政治資金パーティー券の販売に通底する気がしてならない。

私もかつて、取材として政治資金パーティーに何回か足を運んだが、一流のホテルの大広間を貸し切って、ひしめき合う人の多さに翻弄されながら、知った顔を見つけてお話をしたが、来場者に対してあまりにも少ない食事の量を考えると、確実に莫大な収益をもたらすのであろうことは予想できたが、それが自民党の集金マシーンなのだと思うしかなかった。

そんな高額な経済行為が不透明な会計処理で行われていたのは、反社会勢力と変わらない発想で、これが「慣例」と表現したことに、その文化の影響が鮮明に表れている。

パーティーはその券の収入は売った人と買った人がいて成り立つものであるが、末端に浸透した売ったことが評価される営業文化は大規模のパーティーを繰り返させ、かつて自民党政治の弊害とされた派閥の力を再度育むことに役立ったのである。

某大手企業のコミュニケーションの円滑化の名目で営業社員の育成プロジェクトに関わった際に、高い営業成績を誇る臨時講師は「100円のボールペンでも1万円で売る力」が営業力であると語り、「1万円でも売れる」技術を説いた。

売れれば評価され、売れなければ評価されない、その単純な判断基準だからこそ、営業職員は頑張れたり、心折れたりし、その絶対的な販売数の前で人は平等と言わんばかりの文化は、明快で分かりやすい。自民党のパーティー券も販売の過多が当然、評価につながる。さらにその評価のひとつとしてキックバックというシステムが機能していく。

パーティー券は必要のない人にとっては単なる紙切れなのだが、それを数万円で売るのは、理由が必要で、その理由付けを可能としたのは政治の「権力」であり、その権力やもしくは将来の権力が可能とする優位性を「売り」として、ボールペンを1万円で売るのと同じ構図で、その紙切れは買われていく。

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