安倍派を始めとする自民党議員たちの資金集めの実態は、いまの政治が「金」の力によって動いていることを如実に表しています。政治の決め事が持たざる民には厳しく、資産家や大企業に甘くなっているのもその証拠。目に余る「金権政治」の現状に「自由民権運動」の聖地とも言える高知から声を上げたのは、評論家の佐高信さんら論客3人です。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では、その様子を報じた高知新聞の記事を引用。加えて、現代の政治家にはない感性を持っているとして紹介するのは、意外にも汚職で有罪判決を受けた田中角栄氏の言葉でした。
金権から民権へ
1月21日に高知の自由民権記念館で「いまの政治に土佐から吠える」と題して、平野貞夫、前川喜平、そして私の「3ジジ放談」をした。その様子が翌日の『高知新聞』に紹介されている。定員150人のホールが満員となり、帰ってもらった人もいた。
「今考えなきゃいけないのは金権に対する民権。金が動かす政治をやめさせるため、民が動かすものだと再確認すべきだ」と前川の発言を要約し、私のそれは「言論の自由は批判の自由。批判を恐れ自由民権に反してきたのが安倍派であり、今回の体たらくだ」とまとめられている。
高知出身の平野については「野党が力を合わせ、自由民権思想の妨害を阻止することが大事だ」と強調し、裏金事件で安倍派の実力者が立件されなかったことに「自民党議員の身分をなるべく悪くしないように捜査をしているから、極めて限られた国会議員と事務局の一般人が起訴された。検察の在り方が心配だ」と、熱っぽく語った、と書いている。
自由民権の本場での企画だったが、3ジジ放談は最初、平野と私に早野透の3人でスタートした。一昨年末に早野が亡くなり、前川が加わって現在の形になっている。
早野と私には『国権と民権』(集英社新書)という共著がある。副題が「人物で読み解く平成『自民党』30年史」だが、早野のこれ1冊は『田中角栄』(中公新書)だろう。オビには「戦後民主主義の中から生まれ、民衆の情を揺さぶり続けた男の栄光と蹉跌」とある。
それによれば、日中国交回復を共にやった、盟友、大平正芳について、田中はこう語ったという。
「おれは大平に選挙応援してもらったことはないが、おれは大平の選挙応援にでかけたことがある。そしたら奥さんが頭をすりつけてあいさつしている。おれはそんなのはだめだといったんだ。代議士を選ぶというのはお願いごとではない。有権者が白紙委任状を出すことなんだ」
つまり選挙民が候補者にお願いをするんだということだろう。
角栄の次のような感性もいい。1953年に欧州を訪問した時のこと。
「西ドイツのある町で、四角のお灯明のような塔があるのを見ました。あれはなんだと聞くと、『帰らざる人を待つ碑』だというのです。全市民の淨財で作って、ガスをひいて火を灯している。戦争に行って帰ってこない兵士の名前が裏に書いてある。その人が無事帰ってきたら、名前を削るのです。ずっと帰ってこない人のことはどうするのかと聞くと、この町がある限り、市民は火を灯し続けるというのです。私は政策の中枢にこういうことを据えようとは思いません。しかし帰らざる兵士を思う、こういう市民の感情が国民的力を培うのだと思うのであります」
1993年12月16日、角栄が亡くなった時、その遺骸に対面したのは首相の細川護熙、自民党総裁の河野洋平、そして衆議院議長の土井たか子だった。娘の真紀子が3人だけを招いたのである。
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