日韓関係に改善が見られてもなおくすぶる徴用工問題。政府の責任、企業の責任と同時に、市民にも責任があるという考えで行動する人もいるようです。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』で、評論家の佐高信さんは、室蘭で市民運動を続けている友人を紹介。久しぶりの手紙に書かれていた強制連行犠牲者の遺骨返還運動には、市民運動では忘れられがちな視点があると伝えるとともに、国や自治体、企業の姿勢に対して疑問を呈しています。
室蘭の友人からの手紙
室蘭在住の増岡敏三から久しぶりに手紙が来た。増岡はほぼ同年輩で米屋を営んでいた。赤い米を売っているわけでもないのにアカイ米屋と言われてきたらしい。おかしいことはおかしいと言い、護憲運動などを続けてきたからである。
天皇の戦争責任について『北海道新聞』からコメントを求められ、「あると思う」と答えて、右翼の街宣車にケシカランと、がなりたてられたこともある。やむなく警察に連絡したが、それを載せたメディアが防いでくれるわけでもなかった。
増岡の手紙には、2007年に「強制連行犠牲者の遺骨返還を実現する市民の会」を発足させ、戦争中に室蘭で亡くなった朝鮮出身の男性3人の遺骨を韓国在住の遺族へ返還する運動を展開したことが書いてあった。当時の新聞記事も同封してある。
亡くなったのはまだ10代の3人で、新日鉄(現日鉄)構内で働いている時に艦砲射撃を受けたのである。「日本政府が謝罪し、賠償金を出さなければ遺骨は引き取れない」と遺族は主張し、60余年間、遺骨は光昭寺というお寺に置かれたままだった。
それで増岡たちは遺族に「日本政府の謝罪はいつのことになるかわからない。室蘭市民が心から謝罪し、賠償金にかわるものをお渡しします」と申し入れ、街頭にも立って賛同金を集めた。200万円を越えるおカネが集まり、それを遺族に渡すとともに、遺骨は韓国の「望郷の丘」に納めた。
国だけに責任があるのではなく、それを支持してしまった市民にもそれがあるという加害者の視点は、とかく、市民運動では忘れがちだから、貴重な運動と言えるだろう。群馬県では逆にそうした碑を知事(山本一太)が先頭に立って壊してしまったので、なおさらである。
地元の新日鉄にも対応を求めたが「会社の名はいろいろ変わって戦時中の会社とは継続していないので責任はない」と逃げられた。それでいて、まもなく「室蘭開業100年祭」はやったとか。増岡によれば「室蘭市民は先の大戦で室蘭に強制連行した中国人を多数虐殺した歴史を忘れず」に、毎年、慰霊祭を行っているという。
増岡は、あえて保守系のライオンズクラブの会長となったりして、改憲派の人間にも護憲を呼びかけてきた。しかし、会長時代も、日の丸には敬礼しないし、君が代は歌わなかった。
室蘭へ行って、一緒にカラオケを歌ったのは2011年秋である。~きっと帰ってくるんだと松村和子の歌う『帰ってこいよ』を増岡は唇をとがらせて歌っていた。これを彼は「地方分権の歌」だと言う。冗談めかしてこう言っていたが、確かに中央集権化に抗する歌だろう。
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