数十年も昼夜逆転で暮らし、あまり他人と迎合することもなく、好きなときに好きなところをほっつき歩いて生きてきた私が、今さら規則正しい生活を送るなんて、世界がひっくり返っても無理だろう。
しかし、勤め人の「給料」という固定収入はなかなか魅力的でもある。
そこで私がひとつの代替として注目したのが、高配当株だったのだ。給料をもらえない代わりに、「配当」や「分配金」で代替しようというのが私の気持ちだった。配当を給料代わりにする。
私はそれを「金融的な精神安定剤」と呼ぶ
米国の配当株を保有していると、年に四回は証券口座に配当金が振り込まれる。金額そのものは、もちろん毎月ではないし、給料の額よりも低いかもしれない。だが、ここで重要なのは金額の大小ではない。
「定期的に、確実に、まるで給料のように入ってくる」というリズムなのだ。この定期性と持続性ある固定収入が、想像していた以上に精神を安定させる。
働いていない人間の最大の不安は、とにかく「先が見えない」ことだ。来月いくら入るのか分からない。再来月はさらに分からない。半年後は完全に分からない。そうした不確実性が、じわじわと精神をむしばんでいく。
個人事業主やフリーランサーが精神的に疲弊していくのも、結局はこの「見えない不安」に押しつぶされるからだ。
ところが、高配当株のポートフォリオを組んでおけば、来月の配当も、半年後の配当も、ある程度の精度で予測できる。減配というリスクはもちろんあるが、複数の優良企業や高配当ETF、投資信託などに分散しておけば、配当や分配金が一気にゼロになることはまずない。
この「定期的に現金が入る」という安定感こそが、ぶらぶら暮らしている人間にとっては喉から手が出るほど欲しいものなのだ。
しかも配当金・分配金には、もうひとつ大きな利点がある。それは、株式そのものを売らずにすむということだ。資産を取り崩して生活する人間は、いずれ恐怖に直面する。いつか資産が想像以上になくなってしまった恐怖だ。
自分の資産が目減りしていくのを目の当たりにしながら、それでも生活のために売り続けなければならない。これはこれでメンタルが削れていく。
だが、入ってくる配当金で生活費の一部をまかなえるなら、それは素晴らしいことだ。株価がどれほど下がろうと、配当が入ってくるのであれば関係ない。むしろ株価が下がれば下がるほど、再投資する配当金で買える株数は増える。
定職を持たない人間にとって、配当金は単なる固定収入ではない。それは、精神的な安心感なのだ。私はそれを「金融的な精神安定剤」と呼んでいる。明日を知れない人間にとって、この精神的安定剤はなかなか効く。