仕事もせず自由気ままに生きる私を「うらやましい」と言う人は多い。だが、誰ひとり本気で真似しようとはしない。理由は単純だ。仕事を辞めた瞬間、「給料」という定期収入が消えるからである。先の見えない不安と戦い続けてきた私が、その代わりにたどり着いたのが高配当株だった。配当や分配金を「給料」の代わりとして受け取る。それは資産を増やすための投資というより、むしろ心を守るための「金融的な精神安定剤」だったのだ。(『鈴木傾城の「フルインベスト」メルマガ編』鈴木傾城)
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プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。
「給料がない」という不安
私はこれまでずっと仕事もしないで自由気ままに暮らしてきた。それで「うらやましい」「そういう生活をしてみたい」とよく言われる。だが、そのように言う人も、絶対に私の真似をしない。仕事を辞めた瞬間に「給料」が消えるからだ。
仕事を辞めるのは簡単だ。だが辞めたら、その瞬間に毎月もらえていた収入がゼロになる。経済的に大きなダメージを受ける。そうなったら、「ぶらぶら暮らしていてうらやましい」とか言っている場合ではなくなる。
だから、私を見て「うらやましい」という人も仕事を辞めることはない。逆に言えば、私の生き方は本当に不安定で、危険で、薄氷を歩くようなものであるというのが分かってくる。
当たり前だが、私は働いていないのだから「給料」なんかない。明日どうなるのか何の保証もない。誰かが助けてくれるわけでもない。その前に、私が馬鹿なことをして経済的に困窮しても、世間の人たちは1ミリも同情してくれないだろう。
私がすっからかんになったら、「いい気味だ。ぶらぶら暮らしているからだ。自業自得だ。そのまま飢えて死ね」くらいの気持ちになるのではないだろうか。
気持ちは分かる。給料をもらうというのは大変なことなのだ。眠くても疲れていても、場合によっては病気でも働かなければならない。会社に行っても、上司から同僚から顧客からいろんなクレームやトラブルが舞い込んでくる。
仕事の現場では、毎日かならず何かが起こる。精神的にも肉体的にもタフでないとやっていけない。そういう日々を積み重ねて毎月の「給料」が出る。みんな、そうやって日々を戦っている。
そんな中で、ぶらぶら暮らしている男が近くにいたら、殺意のひとつやふたつ湧いてもおかしくない。たまに、そういう殺意をうっすらと感じることもある。だから適当に生きていることは、あまり表社会の人には言わないようにしている。
だが当然のごとく、会社に勤めているわけではない私には「給料」はないのだ。では「給料」がないことに関しては、なんとも思っていないのか?
私自身もまた生き方を改めることはできない
いや、なんとも思わないわけがない。十分な資産があっても、やはり定期収入がないことの不安定さは、何十年も感じていることでもある。私は私できちんと会社に勤めている人を、逆に「うらやましい」と思っていたのだ。
これは、個人事業主やフリーランサーはみんな口を揃えて言っていることだ。彼らも明日の保証はまったくない。今ある仕事も、明日には消えてなくなっているかもしれないのだ。
実際、私が知っているフリーランサーの何人もが経済的に追いつめられ、メンタルを消耗し、力尽きて消えていった。
会社に所属して働いている人は、毎月「給料」がもらえる。もらえる額には不満があるかもしれないが、毎月いくら入るか分かるので計画も立てられる。ローンも組みやすい。きちんと働いて給料をもらっているので社会的信用も得られる。
そんな安定と安心と安堵は、私が求めても得られないものだ。毎月、きちんと「給料」がもらえる人生というのは、私にとっては信じられないほど安定した人生に見える。窮屈なことも多いだろうが、メリットもそれなりに多い。
だが、勤め人の大きなメリットを理解しても、私はその世界にいけない。きちんと働いている人が私のような生き方ができないのと同じく、私自身もまた生き方を改めることはできないからだ。