京都の謎。なぜ足利義政は略奪してまで「銀閣寺」を建てたのか?

 

江戸時代初期、1615年に観月を意識して建てられた東山殿は、銀閣寺として再建されました。この再建の時、義政が意識した観月のコンセプトが強化されています。先程ご紹介した有名な向月台の造形もこの時に加えられたものだと伝わります。同じく銀沙灘という砂で波を表した意匠も江戸時代に加えられ月に関係しています。義政は、月の引力によって潮の満干を繰り返す波の音をイメージして銀閣寺の二階を潮音閣と命名しています。銀沙灘は、月光が反射して銀閣をライトアップするようにかすかに銀閣に向かって傾斜しているといいます。江戸時代の銀閣寺の再建は、義政の観月への強い思い入れを強化したのです。思いのままに政権を運営することが出来ず不遇の生涯を送った義政の冥福を祈ったものだと推測されています。

いかがでしたか? さすが世界遺産と思うような数々のいわれがあり、必要のないものなど何もないのです。そして、存在する全てのものには理由があり、説明がつかないものは存在しないのです。観光で訪れても、ただ見ているだけでなく、どういう歴史的意義があるのかをよく観ると違うものが見えてきます。沢山のものを表面的に見るよりも、一つのものを深く見ることは、返ってより多くのことを観ることになります。少しずつ観察力や洞察力を磨いて見えないものを観る努力をしたいと思います。

京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

image by: Luciano Mortula / Shutterstock.com

 

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